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2011年12月22日木曜日

無縁社会と云うけれど  (社)倫理研究所 普及開発部長 徳江 秀雄 氏



今日は同じ会場で先立つこと一時間前(午前五時)に家庭倫理の会の「特別おはよう倫理塾」が開かれるという案内が大森会長発信で前夜に来たので、3時起き4時出発で出かけた。外は未だ深夜の様子であるが、家庭倫理の会は毎週朝5時が開場ということだから、その熱心さは普通ではない。
 いつもの会場と変わって収容人数150名ほどの会場に変更されたのは100人セミナーと云うことで、100名以上の聴講者が来る想定されてのことだろうが、会場についてみるともうすでに100名以上の聴講者が着席されていた。
 講師は地方の人に東京で有名な先生と紹介されている倫理研究所の徳江秀雄部長。正に語りのプロ中のプロと云う方で、アドリブを入れながら、キッチリと聴講者のこころを掴まれていた。
 お話は「無縁社会」というけれど我々の人間の世界には「無縁」などはあり得ない。何百年経とうが何世紀隔たろうが、祖先のDNAが私たちの体の中に生きていること、そして私たちは生きるために多くの生き物の命を頂いて生きているということを忘れて、自分を自分の命を粗末に扱ってはいけない。人との縁は自分から断つことは絶対にあってはならないことであり、むしろ一歩前に出て積極的に捉えていくという生き方が正しい。更に、そんな人間を誰が作ったのかいまだに私たちにはわからない現実がある。この世の中、宇宙にはSomething Greatが存在するのではないか、というものでした。
 縁とか絆と云う言葉が、この3月11日以降、改めてクローズアップされ、それを契機に日本人としての在り方、人の倫(みち)が問われている。その意味で、今やRich Poorから日本人の源流であるPoor Richへの転換の波をみんなで受け止めていかなければならないなと思いながら聴かせていただきました。
 有難うございました。貴重な1時間でした。

渋沢栄一の逆境処世術    伊勢田 豊 (社)倫理研究所 参与



 恒例の大森会長の会長挨拶に引き続き、会員スピーチと云うことで幹事早瀬 徹 氏((有)ライフネット湘南)より会員スピーチが行われました。早瀬さんは「事実は一つ、解釈は無数」と云う話を自身が不動産の取引の中で体験した実例を出し、お話されました。事実に裏付けされた迫力あるお話で、全員の胸を打ちました。
 
 それを急遽受ける形で本日の講師である社団法人倫理研究所の参与伊勢田 豊 氏が「存在の原理」という話をされました。存在とはそこに形を以て在るということで、空間の一部を占有しているものであり、働きがあり、役割があるもので、それは価値と云うことでもある。この価値と云うものは大きければ大きいほど価値が高く、社会への貢献度も高いということであり、企業経営者であれば自社の価値を高め、地域に貢献することが使命であると結ばれました。

 本題の「逆境の処世術」の講話時間はこのため、相当圧迫を受けて、資料の紹介だけに終わったという印象でしたが、それから受けた印象は企業経営者なら改めて澁澤栄一なる明治の巨人の足跡の幾つかと対面すべきであるという思いでした。右手にそろばん、左手に論語を持った最初の経営者であるとか経済と倫理を合一させた人であるとかいう紹介の言葉が矢継ぎ早に出て来てきました。

 駆け足でこの逆境の中で注目される業績を上げる企業が紹介されましたが、企業人にとって心すべき座右の銘は「人生は意のままになる」という澁澤栄一の「青淵百話」のエッセンスであると感じました。

 素材が大きいだけにもっとじっくりと時間を取っていただいてお話しいただいたほうが良かったという印象でした。商工会議所の生みの親でもある澁澤栄一氏の遺徳を聴きに茅ヶ崎市商工会議所から若い社員の方々が聴きに来られていました。 
 
 今年最後のモーニングセミナーを締めくくる勉強の素材として日本資本主義の父と云われ、あのドラッガーも絶賛したという澁澤榮一氏の気概の一端に触れられたことにお礼を申しあげます。

2011年12月15日木曜日

企業倫理とリスクマネージメント   鎌倉市倫理法人会副会長 白木 大五郎 氏

  今日の講師は鎌倉市倫理法人会の副会長の白木大五郎氏である。一方で企業リスク研究所の代表と言う肩書きも持っておられる方です。ご自身の日立製作所及びその関連企業でお仕事をされ、特に総務・人事・労務関連の部署で永い経歴をお持ちになっており、退職後その実務経験を活かし企業リスク研究所を興され、新聞雑誌、テレビ、著作活動に講演、研修の講師と、全国を飛び回っておられる方である。
  近年、情報開示が企業の義務といわれる時代になり、企業倫理の大切さが大きくクローズアップされています。その根は上から目線でなく水平の目線で社会との共存共栄を図らなければ社会から取り残され、企業存続の道を閉ざされることもありうると言う認識です。
  一方で何事にもリスクは付き物。リスクが現実にならないように事前の十二分な対応は当然として、それが起きたときの対処がきちっと出来るかどうかが企業の本当の力であり、経営者(責任者)の人間力であるというお話をいただいた。

  しかしながら、ここのところ相変わらず新聞紙上を賑わしていることは、世の中が見えていない企業が大小問わず沢山存在するということです。これらの不祥事の多くは内部告発によって、その端を発しています。要するに企業倫理に反することは身内でも隠し通せない時代になったということ。企業はある特定の人のものであった時代は終わり、そこに働く人、家族そして取引先等、社会全体のものであるという認識の上に立った経営が強く求められる時代になったということで、それを経営者が自覚出来ているかどうか、即ち人間力をもった経営者がその企業を経営しているかどうかが問われる時代なのです。
 
  ポイントを短い時間の中で分かりやすくまとめていただき、時には得意の川柳も交えながらあっという間の45分間でした。いただいたレジメには起承転結、要領よくまとめていただいており、貴重な企業経営、リスクマネージメントのガイダンスとして活用させていただきます。有難うございました。


  この人間力の発揮は正に倫理の実践であり要諦である。




2011年12月7日水曜日

家庭に愛を   神奈川県倫理法人会会長 二階 正 氏

 
 講演の前段で新規入会社のご紹介と会員バッジ、倫理法人会憲章が手渡されました。56社目の会員
が新たに誕生し、目標の70社まで、ゴールに向けて歩みを速めています。

 さて、今日の講師は県の会長を務められる二階 正(まさし)さん。自分の倫理実践の経験の中から
夫婦対鏡というテーマを選びご講話いただきました。

 倫理法人会へ入会すると三つの特典がありますと切り出された。先ず、
 1.職場の教養が30冊(毎月)
   これを使って職場の朝礼を行おうと試みたが社員の抵抗にあって5年間やれなかったが、結論は
   社長たるものがやる気になれば出来る。できなかったのは意志が弱かった。
 2.モーニングセミナーに出席できる
   人間は純に生まれてくるが育つにしたがって垢が付いて「純情(すなお)」が隠れてしまう。その
   垢をそぎ落とすことが出来るのがMSである。会員が切磋琢磨できる環境がある。
 3.倫理指導
   苦境、不振の原因を探すのを一緒にやってくれる。そして一番大切なものを思い出させてくれる。
   その大切なものは「家庭、夫婦仲」である。
   5,6年ほど前までは一番の相談事は「後継者問題」、今は「資金繰り、資金調達」であるが、
   その隠れた要因は家庭問題である。問題を抱える経営者に共通の問題が家庭問題である。

 日常生活において家庭の問題と云うものが仕事の面にまでマイナスの重圧となって掛かってくるということを気づかないでいるが、実はこのことは大変大きなウエイトを占める問題であるということを悟った沢山の倫理の盟友が語っている現実を見れば、先ずそのことの重要さをお分かり頂けるのではないでしょうかと結ばれた。
 
 自社の社員がご主人の定年退職後の青写真に不安を抱き、其の時には離婚も辞さずとの思いで入社された女子社員さんが、職場の教養を使った朝礼を繰り返すうちに、何が本当のわがままかに気付き、ご主人の田舎に帰って農業をという夢について行くという決断に至ったという挿話は、倫理の実践まさにここにありと感銘を受けました。 ありがとうございました。
 

2011年11月17日木曜日

追われる前に追う  首都圏方面方面長 伏木 久登 氏

今日の講師は法人局から普及事業部首都圏方面長の伏木久登氏を迎えて行われました。前段として月一回の会員スピーチということで、会員の村松弘昭氏が3月11日に体験された出来事をお話になりました。
 今日の伏木氏のお話は倫理活動の根幹の部分のお話であり、人の生き方の問題で、短い時間ながら非常にわかりやすく示唆に富んだお話に参加者一同、我が意を得たりという顔をされておりました。
 今年、我々がわが身で感じたことは先行きが見えない、何が明日起きるかわからないということでしたが、ここで必要なことは「決心」と「決断」という行為の必要性でした。決心は自分の中に「コレだ」という確信がなくてはならないということ、決断には今までやってきたことを断つという勇気が必要だということ。決心や決断には時として大きな「リスク」を伴うが、そのリスクを前向きにとらえる姿勢こそ人間が求められるもので、「苦難は幸福の門」とは、苦難を前向きに捉える、即ち良くなるなら進んで苦難を受けようと受け身でなく積極的に苦難に立ち向かっていく姿勢が打開の道へとつながって行くということ。会社の危機を招く原因も、事業そのものより、経営者が今の仕事に誇りを持って対処しているかどうか、現実を前向きに捉えてそれに対処できているかどうかがカギである。苦難、危機は必ず、どんな場合にもやってくるもので、追われて受けるか追っかけて行って受けるかの差は大きな結果の違いをもたらすことは世の成功者の足跡の中に残っていることからみても、また会員各位の経験の中に残っていることからして真実だろう。
 様々な局面で自分をどう活かすか、どう対処するかの重要なポイントは自分自身の心の持ち方であり、すべからく前向きに捉え対処していく姿勢であると結論付けられた。「小我」から「大我」へと我々の生き方を変えていく(成長する)ことが我々の社会生活も企業経営も家庭生活もいい方向へ変えていくのではないでしょうかと結ばれました。伏木先生ありがとうございました。

2011年11月10日木曜日

地方自治体の首長とは・・・・寒川町町長 木村 俊雄 氏

 ぐっと冷え込んで今秋一番の寒さがやってきた。家を出るときはさほど感じなかったが相模川の風はやはり冷たい。会場へ降り立った瞬間、冬の足音が聞こえてきた。
 さて、衝撃的な講話を聴いてもう一週間がやってきた。今日は新任の寒川町町長木村俊雄氏が講師ということで、会員の中には選挙で木村町長を担いで、一肌脱いだ会員もおられるようだ。現役二期目の現職を向うに回して圧倒的不利を囁かれた選挙戦であったが、蓋を開けてみると圧勝とのことで、その背後には木村氏が町の職員として長年、寒川町の為に尽力されてきた積み重ね、即ち実績と人望があったようだ。ただ、選挙はそれだけでも勝てないそうで、選挙参謀というプロの存在も大きかったとは一緒に氏を担いだ人の言葉だった。
 さて、生まれも育ちもそして人生も寒川町と共に歩んできた62歳。定年後、一旦町の職員から外れられて、却って町政の実態と云うものが良くわかり、そのことが郷土愛に火を点けたと話された。それだけに胸に秘めた想いがあるようで、今日はその一端を聴くことが出来た。
 7つの絆を公約として掲げ当選されたが、その内容は:
   1.安心して暮らせるまちづくり
   2.明日を担う子供たちの健やかな育成
   3.地域の絆づくり
   4.いきいきと暮らせるまちづくり
   5.活力のある産業の育成
   6.豊かな自然を守る
   7.徹底した行財政改革の推進
 というものであるが、国であれ、都であれ、市であれ、県であれ、今の時代に共通した課題である。幸いにして寒川町は人口47,600人ほどの町であるが地方交付税が支給されない全国でも数の少ない自治体だそうで、バランスのいい街づくりが既に過去から続いているとのこと。ただ、やはり人口の伸びは少なく、しっかりした企業からの税収にささえられてはいるが、税収の増加は容易ではなく、限られた予算の中で何を優先してやるか、何を見直すかが重要であると話された。
 新年度の予算の編成時期に来ているが重点は:
   1.教育
   2.安心安全な社会基盤の整備
の二つだと強調された。教育問題は深刻で、教師の在り方、キャリキュラムの在り方等々、将来の日本を担う子供たちへ倫理や道徳も織り込んプログラムを構築したいと述べられたが、根は家庭教育にあるのであって、親が変わらなければ、子は変わらないという側面もある。それほど環境は厳しい。
 安心安全な社会基盤の構築は先ず、自助の精神在りきであると強調された。行政が何をやってくれるかと待つばかりでなく、自分たちで何ができるか、できることはお互いに助け合ってやっていこうというコミュニティーづくり、即ち絆づくりだと語られた。その為には、町の職員が町に日常的に足を運び、町民とテーマについてお互いに相談するという姿勢が大事であって、その定期的な触れ合いの場を二か月に一度の割で「街づくり懇談会」という形で始めておられるそうだ。地域は地域で主体的に考え、それを町にぶつけてもらうこと。「役場の人間は役に立つ人間でなくてはならない」という意識改革を先頭に立って行っておられるということだ。
 寒川町は平塚市、藤沢市、茅ヶ崎市、海老名市等々の市に囲まれて、生活基準が都市並みになっている部分があり、どのレベルの行政サービスが適切かという見直しのテーマもあるようだ。一番、最後に一番難しい課題を話されたが、協働の町づくりの中で、ぜひ実現していただきたいものだ。
 新任の町長さんにエールを送ります。期待しております。頑張ってください。

2011年11月3日木曜日

苦難福門 自分を生きる

 今回は茅ヶ崎市と平塚市の合同イブニングセミナーということで水曜日の夕方6時から行われた。講師は茅ヶ崎市在住の福井砂夕里(さゆり)氏。講演を聞き終わって、大森会長が合同で企画された意味合いが素直に納得できた。それほど価値のある内容のあるお話で、何度も目頭が熱くなった。京都のお生まれらしく、京都の女性の強さとプライドがお話の背後に感じられて、今更ながら京女の強さ、凄さ、そしてその向こうにある(生まれてきたからには)人間としてのミッション(使命)とは何かを思い知らされた90分でした。
 キャリアはJALの国際線のCAを8年間され、子育てで退職、教師と云う過酷な職場で仕事一筋に打ち込み、すべてを犠牲にしてきた最中、悪性の腫瘍ががんになり、度重なる手術後に左腕切断と云う女性としてこれ以上ない不幸に見舞われた。その間の様々な葛藤が語られましたが、その間で、一番得たもので大きかったのが「人の絆」とお話になった。第一に「家族の絆」、次に「友人との絆」、そして「医師や看護婦・看護士との絆」さらには「教師と生徒の絆」等々。
 左腕の切断を最後に決断されたのは天窓を流れた星(22歳の時に母親を亡くした)として現れた母親が背中を押してくれた。自分のつらさは自分しか判らない、他人が肩代わりしてくれるわけではない。自分がすべて受け入れていかねばならないことなのだ。もしかして死ぬのではないかと想ったとき、人にとって人生にとって、人と人との絆というものをどこまで深めていけるか、人間関係を築いて行けるかが一番大切なことではないかと気付いたと述べられた。
 手術室の前で看護婦さんに「いいご家族ですね」と声を掛けられて、自分は子供たちや夫や父親や自分のことを心配してくれる人のためにも生きなくてはならないと思い、平常心で手術台にのぼることが出来たと述懐された。主治医と患者、看護婦・看護士と患者の信頼関係が築けたのもこの手術台に昇る直前だったということで、主治医が「体だけでなく心も診てくれた」という一節は奥深い真理を現した言葉として特に印象強かった。
 人間はプラスの力もマイナスの力も人に及ぼす存在であることは言うまでもないが、不治の病で平常心でない人たちの世界でこれが出てくるとどうなるのか、そこには普通の人では対応できない世界があるような気がする。そういう時こそ、ご自分の経験が人の役に立つということで、進んでその輪の中に入って活動されているということだ。
 手術後、なくなったはずの左腕が痛む「幻肢痛」という症状に悩まされた術後生活。その中で知った「看護士の患者の痛みを判ろうという心が患者の痛みを癒す」という言葉の重み。「人間が出すやさしさには強いやさしさもあるが弱いやさしさもある」など、正にその通りだろう。人間なのだから。
 今、病が癒えて退院後、これからの自分の生き方を問う長い時間が必要でした。その為には先ず、「できることをやる」で社会復帰を心がけられたそうだ。先ず、女性だからおしゃれをしようと先ずピアスの穴を開けに行きましたというくだりは思わず微笑んでしまった。読書、美術館巡り、映画館、子供のサッカーの試合見物、おしゃれ等々、失ったものを取り返す行動は自分自身に元気を与えてくれたと仰る。長期間の入院で立つこともできなかった体力も徐々に回復して、人の前にこうやって立てることは「幸せの証拠です」と仰る。
 自分の退院後、病院入院中の親友二人が相次いで他界したが、その代わりに自分が命を貰ったと思い、それを契機に自分のミッション探しを始め、今三つの仕事をやっておられるそうだ。

   1.北里病院での講演活動他
   2.NPO法人多文化共生教育ネットワーク コーディネーター
   3.公立中学校非常勤教諭

 がんには三つの要因があるそうで、
   1.食事
   2.運動
   3.人間関係・心の持ち方(ストレスの原因)
この中で3番目が一番重要な要因なのではないかと自分は体験上、そう感じると云われた。NOが云えない(旅客機のCA)自分、自分を大切にしなかった自分から正直な自分、人に甘えることを良しとする自分に変え、人間関係は自分がお付き合いできる人とお付き合いをするということにしておられるとのこと。気功を覚え、薬に頼らず熟睡でき、保温に努め体を冷やさないようにしているとアドバイスをされました。最後に、相田みつおの詩「雨の日は雨の中を、風の日は風の中を」を読まれて講演を終わられました。本当に生きてきた、生き抜いた人の想いの凄さに会場は万雷の拍手とため息でした。
   

2011年10月27日木曜日

いのち燃やして



 会員スピーチが講話の前に行われました。今回は三富弘治(弘栄堂)さんが「三代目から四代目へ」というテーマで家業の生い立ち、経緯、そして自らの意志で家業を継ぐと決めて修行に出られたご子息の成長を観て喜んで四代目を継承させることが出来た喜び。更には倫理へ入会して今感じていること等々をお話になられました。夫婦の絆、家族の絆、地域の人たちとの絆の大切さを以て今の自分があると。

 今日のMSの講師は法人局の首都方面副方面長の高橋哲也氏。ご両親が倫理法人会の会員で、正に倫理の申し子ともいえる生い立ちを持っておられる方だ。
 先ず、毎週一回のMSにあなたはどういう気持ちで出てこられますか?との問いかけに始まり、スタンスは個人個人で色々あるかも知れないが、会員になったからには、朝早く起きて出かけてくるのだから、何かを得て帰ろうではありませんか。その感じたことを実際の日常生活の場で活かすこと、実践することが本当の倫理の学びというものであると結論付けられました。
 9月から始まる倫理法人会の新年度、今年度のテーマは「希望」である。希望はなくても生きては行けるが、どうせ生きるのなら「希望」を持って生きた方が、はるかに面白い人生を送ることができる。栞第14条「希望は心の太陽である」。希望は太陽と一緒で、人間の心になくてはならないものである。それを地で行った巨人が遠山正瑛さんで、大学教授を退官したのち、砂漠の緑化を目指して鳥取大学に入り、鳥取砂丘で中国のゴビ砂漠を緑化する研究をされ、国交回復後見事それを成し遂げた顛末をお話になった。77歳から始めた砂漠緑化プロジェクト、今では300万本のポプラが植えられ、その志は今に引き継がれ、倫理研究所も「地球倫理の森」として今から9年ほど前から、バックアップを行っているという。森田会員がこの派遣隊に参加された由。
 この砂漠緑化活動に関連して、倫理研究所の社員になられた坂本氏の生い立ちから、挫折と放蕩、そして派遣隊への参加、両親からの手紙、母親の手紙にあったたった一行の言葉「あなたが砂漠緑化隊に参加すると聞いて胸が熱くなりました」への衝撃とその後の行動。それは当人しか判らないものではあるが、その想いを察するのは・・・・・。生きていることへの感謝、親への感謝、自分を取り巻くものすべてに対する感謝、この感謝のこころこそものを成す上での最強の力・最強のエネルギーではないかと結ばれた。


                              

2011年10月13日木曜日

 10分の朝礼が職場を変える  平成学園原幼稚園 理事長・園長 石井 和則 氏

今日の講師は学校法人平成学園原幼稚園理事長で園長の石井和則氏、大和市倫理法人会の会長でもある。少年サッカーの指導をされておられるということで、冒頭いきなり昨夜のW杯アジア第三次予選のタジキスタン戦の話から始まった。
 さすがに少年期から太陽の下でサッカーをされてきただけにしっかり太陽の光が肌にしみ込んで、ご覧のように色黒で、精悍なたたずまいを見せられている。これだけでは幼稚園の園長と云うイメージは湧いてこないだろう。そんなスポーツマンタイプの若い園長さんである。
 子供のころの夢はサッカー選手、紆余曲折を経て、教職を取り、懇願される形で就職したのが家業の現在の原幼稚園。モチベーションの上がらない中、倫理との出会いをお話になったが、これは経営者の息子が普通直面するよくあるストーリーである。出会った「転機」を転機として捉えられるセンスがあるかどうかという問題で、それを若くして捉えられたというところにそれまでの人生をしっかりと生きてこられたという重みがあるのではないだろうか。
 その転機とは「後継者の会」で出会った大阪府堺市の晴美台幼稚園の松井直輝園長だったということだが、この方も26歳で園長だった母親の死により園長を引き継がれたという経歴の持ち主で、
あった。どうやらこの方に経営的にもマーケティング的にも心酔されているようで、そのことが二つの園のホームページを見せていただくとよく判る。それ程インパクトの強い出会いであったことがよくわかる(この辺りは推測で書いておりますので、間違ったお許し願います)。
 ここで行われていたのが、倫理の「活力朝礼」。自社でも朝礼は行っていたが、その違いに強い衝撃を受け、「こんな先生方に指導されたら子供たちはどんなに喜ぶだろう」と思われたということである。早速、翌朝、堺の倫理法人会MSに連れて行ってもらったのが倫理法人会との出会いであった、ということで、それ以来、朝礼のやり方を全く変えられたそうだ。VTRで朝礼の様子を見せていただいたが、職員の方々が活き活きと朝礼に臨まれているのがよくわかりました。
 園では【しつけ教育】を意識的に重点を置いて指導されているということであるが、その根っ子は家庭教育の崩壊にあると云われたが、正にその実態が幼稚園で毎年毎年展開されていることだと思う。私ごとながら、5年ほど小学生のゴルフの指導に携わっているが、実にかわいくない子供たちが多いことに驚く。観ていると親が親にどうしつけられてきたかどうかの問題であるようだ。日本人は豊かさを得た代わりに一番大切なモノを失ってしまったというのが、戦後社会だ。
 「こんな先生に指導されたら子供たちは・・・・」の想いは親の想いかも知れない。ゆえに子供以上に親が原幼稚園の指導に感銘を受けて、自分まで変わろうとしているのではないだろうか?子供をどう指導したらいいのか判らないのが今の親なのだろうから。そういう意味で倫理には他人まで変えていく力がある。そんなお話でした。石井先生、頑張ってください。

 この写真は筆者が毎週、土日早朝の6時から指導している6歳(9月に誕生日を迎え)の幼稚園児とお母さんの写真である。特別プロにするしないという希望はないが、子供の教育として一生懸命取り組まれているお母さんの真摯な態度に感銘を受けて指導することになったが、実に礼儀正しくほとんど人前ではわがままを出さない子供だ。お母さんを見ているとお母さんのご両親の姿が見えてくる。そんな意味で、先達は後輩をきちっとしつけていく責任を感じる。

2011年10月7日金曜日

私はこうして勝ち組になる

今日の講師は株式会社大久保恒産の代表取締役の大久保和夫氏である。倫理法人会でも相模原市倫理法人会の会長はじめ、県法人会の要職を務められ、現在は青葉区倫理法人会の相談役をされている。
 事業は足場工事が主体で、200名ほどの従業員がおられて前述の事業のほか、鉄パイプ関連のビジネス、人材派遣業、そして喫茶店を経営されている。
 ご出身は新潟県の長岡市小国町ということで、今でいう寒村と云うことだった。それよりも父親が戦争で出征し、姉一人の兄弟で、父親の顔も知らず、母親の手一つで育てられ、貧困の極みの中で、幼少、少年期を過ごされたということだった。17年生まれだから筆者の三年ほど先輩なのだが、話された情景は自分の記憶には浮かんで来ない(戦災に焼け出され、田舎に疎開した)が、多分苦しいながらまだ自分は恵まれていた方だろうと想像する。
 17,18才ごろ、反抗期に経験した母親への反発と母親の悲しみ(お前が唯一の心の支えなのに、おまえにそんなことをされるなら死んだ方がいいと柱に寄りかかって泣き崩れる母親)を目の当たりにして、自分が何をしているのか気づく下りは我が事のような思いがして、在りし日の自分の姿が浮かび瞼が熱くなった。この年齢でそのことに気が付かれたのが「凄い」の一言だろう。最近、長野県上田市にある「無言館」という戦没画学生慰霊美術館に収められている大江正美さんという人が描いた「白い家」という絵を見る機会があったが、あの家(母親の実家らしい)、あのシーンが思わず目に浮かんできた。
 
 さて、本題なのだが、大久保さんは戦国武将の中でも豊臣秀吉の潮目を観る目を一番、参考にされてそれを経営に生かされたということだが、それは人の使い方の極意をそこに見たということのようだ。人は自分の価値を認められないと本気になって働かない。その価値を何で認めるかだが、大久保恒産は仕事が単純作業なので賃金(成果報酬)と云う最もシンプルな形で報いたから他社より抜きんでることが出来た。「人は何の為に働くか」という問題の掘り下げこそ、経営のかじ取りの元であったと語られた。
 最後に会社の成長には「経営計画」が必要で、それは主観的でいいからしっかりしたものを作れと語られたが、仕事の進め方から云えば当たり前のことであるが、これが出来ていない企業が多いのも事実だろう。失敗があり、反省があり、それを活かすという行為が課題を打破していく、そして出来るまでやるというのが目標であるという企業風土づくり、そして成果主義の報酬制度が売り上げ押し上げているようだ。そして、更に、自社にとって飛躍のためには急務は組織、すなわち人づくりだと語られて講話を終わられた。
 久しぶりに心を揺さぶられるような親子の情と経営の肝を聴かせていただきました。ありがとうございました。

2011年9月29日木曜日

電子業界50年の歩みと倫理の出会い

 今日の講師は倫理のお仲間ともいえる鶴見の会長佐藤忠範氏、今年70歳を迎えられ、その半生をと倫理との出会いを話されました。
 詳細なレジメが用意され、お話になった内容はほとんどそこに網羅されており、ここに報告するようなことはないが、お人柄なのか、大変親近感をもってお聞かせいただいた。そこには我々が歩んできた昭和の歴史があり、その一部を分け合ってきた仲間というか先輩というか、そんな親近感かもしれない。もう一つ付け加えれば、個人的なことであるが「真空管」だろう。筆者個人はと球の時代ではなく、トランジスターの時代であったが、オーディオに傾倒する過程で、真空管にのめりこんだ。業界的には長い不毛の時代を経て、球の国産メーカーは壊滅したが、ここへきてまた球が復活してきて、注目されているようだ。球の持つ能力の再発掘が行われ、趣味の世界を刺激している。但し、球の生産は日本ではなく、中国やロシア等だそうだ。
 レジメの後段に倫理への取り組みが書かれているが、それによると2004年の入会であり、未だ鶴見が単会として独立以前のことだそうだ。さっそく、朝礼を取り入れて、職場の活性化をされてきた道のりがレジメには詳しく書かれている。その中で、「万人幸福の栞第四条 人は鏡、万象は我が師、人を改めよう、変えようとする前にまず自ら改め、自分が変わればよいと実践する中で職場の人間関係も意思の疎通も計られ、毎日が和やかな活気のある職場になりました」と結んでおられる。


部分部分をもっと詳細にお聞きしたい思いが残る45分間でした。ありがとうございました。
 

2011年9月21日水曜日

言葉の大切さ・・・言葉は生きている 


 今日は講師の講話が始まる前、会員スピーチということで、8月に入会された社会労務士とIT関連の企業を経営されている澤邑重夫さんのスピーチがあった。入会以来、社員7名の企業で「職場の教養」を使った朝礼が始まったとのこと。7名ともなると意思の疎通もままならないことも起きるそうで、丁度いいタイミングでの「職場の教養」であり、朝礼となっているという報告がありました。
 講師は正に「鉄の女」さながらの印象を受けた倫理研究所の法人スーパーバイザーの高松祐子氏。会員スピーチが長引いたため、少々お気の毒でしたが、その話しぶりからこの人は強い女性だと思わず唸ってしまった。最近、幼児や幼稚園児を育てておられるお母さんと職場で親しくさせていただいているが、その子育てに我々の仲間が感心している。そして結論は彼女のご両親が本当の子育てをされた故に、その子供が親になっても子育ての何たるかが理解できているのだというものである。
 話は少し横にそれたが、今日の高松講師のお話は親から受けた教育、そして嫁いだ先の義母から受けた教育、長い反発はあったが、親の気持ちを理解できたとき、素直に倫理の勉強に励み、今日、今二人の親が生きたように行きたいと人生の目標、目的を語られた。
 話の内容を十二分にフォローすることは避けるが、「運命は自ら切り開くものである」「無理から一歩踏み出したところに成功という果実がなっている」という言葉は正に倫理そのものの実践であり目的である。
言葉は行動を変え、習慣を変え、人格を変える、そして人生を変える。従って、先ず言葉ありき、自分にも他人にもその気にさせるいい言葉を掛け、即行動に移すことから倫理の実践が始まる。

2011年9月15日木曜日

今後の日本経済展望  講師 三澤悦郎氏 FPアセットマネージメント代表

 9月14日水曜日のモーニングセミナーの講師は新宿区倫理法人会副事務局長の三澤悦郎氏、FPアセットマネージメント株式会社の代表取締役でした。大きく経済を過去から振り返り、今後の日本の在り方を方向付けするという大変ロジカルな講話でした。それによると日本はもはや製造業では世界に勝てないこと、それならばどこで生きるのか、そして株価の動きは過去もそうであったが、これからもこの先の経済を暗示するものであり、その下で経営戦略を考える必要があるという結論だったと思います。
 持参された資料を使い、上記の結論を導き出されるお話には説得力があり、特に製造業に携わる企業オーナーにとって、日常的に起きていることであり、示唆に富んだ例題がたくさんちりばめられており、大変に参考になったと思います。今をときめく世界的大企業であっても儲けているのは川下、即ち消費者に一番近い部分で儲けており、モノづくりで儲けるという構造から脱却し、ソフト・サービスという部分で競争力を発揮できているから儲かっているというお話は、本来日本が見よう見まねで一番得意にだった部分で、競争力がなくなっている日本の実情と方向性を物語ったものでした。
 もう一つは人口(人口の年齢構造)構造的に日本経済、世界経済を分析した話は事実と照らし合わしながら経済の流れを説かれた切り口は正にリアルで説得力が強かった。従って、これから世界のどの国と経済関係を強くする必要があるのか、その見方についてもロジカルな考察があった。
 日本企業がどんどん世界に出て行き(生産拠点を求めて)、その後の日本に何が残るのか?この問題は国を挙げて取り組まないと二度と世界のリーディングカントリーの看板は戻ってこないという現実が重く日本にのしかかっていることがよくわかりました。
 景気は気持ちの問題であり、個人個人全部違う、良い悪いは何時と比較してということなのだが、もはや1980年代までの繁栄は二度と戻って来ない。今を現実として捉え、将来を見ていくことが企業経営の舵取りであるというお話でした。
 もう少したくさんの方々に聞いていただきたいお話でした。三澤様、ありがとうございました。

2011年8月27日土曜日

破約失福 創業から消滅までの軌跡 萩生田 博文 氏


 今日のMSの講師は県の倫理法人会の事務局長萩生田(はぎうだ)博文氏、分科会で事務局の会議室を訪れた時にお目にかかる方である。平塚で米穀商の次男として生を受けられたということからこの茅ヶ崎とはまんざら縁のない方ではない。
 今日のお話は養子縁組で嫁がれた家の栄枯盛衰とそれが何故生じたかを淡々とお話になったが、それはご本人にとってはるか「過去」になってしまったからだろうと思われる。それといま一つ、付け加えるならば倫理を勉強されてきたからだろうと思われる。
 高度成長期にハングリー精神一つで這い上がり、脱税をしてぼろもうけをした嫁ぎ先の義母、そしてマルサによる摘発と衰退そして崩壊・消滅まで、その背景からやり口までそしてその事件を報道した新聞の切り抜きまで、あまりにもリアルすぎてドラマを見ているようだ。そこで語られたのが企業にはなぜこの会社が存在するのかという理念の欠如、裏返せば納得できる企業理念がなかったというより、個人商店がそのまま企業になってしまった故の不幸があった。従って、企業はその成長と共に世間を受け入れ世間に受け入れてもらうという経営者としての基軸がなかったこと。それを考えるインテリジェンスがなかったことが致命傷だったことを物語っている。

 倫理にはたくさんの書籍があるので、それを是非読んでほしいと最後に結ばれました。
 尚、今回新会員としてインテリアライフワークの神谷久則社長が入会され、その入会式が行われました。
 

2011年7月30日土曜日

強く生きる  倫理研究所 法人局普及事業部 次席 中島康弘氏


今日の講師は倫理研究所首都圏方面副方面長の中島康弘氏である。昨年、9月に茅ヶ崎の倫理法人会においでいただいたので今回で二回目となると、感慨深げに当時を振り返られた。

 研究所に入社して20年になるが、今こそ「倫理」が必要なときはない。今日のテーマの「強く生きる」は自分自身の思い入れの強さからつけたものである。倫理の特徴は「心の勉強であり、自分自身を変える」勉強である。いくらいいことをしていたとしても、自分の心の持ちようが大切である。いくら倫理に携わっていたとしても自分が良くなっていくという保証はない。

 世の中には「変えられるもの」と「変えられないもの、変えてはいけないもの」がる。「変えられないもの」の代表は過去と他人である。変えられないもの

、変えてはいけないことを一生懸命やっている人がいるが、これは出来ぬ相談である。自明のことであるが、変えられるのはこれから先の未来と自分しかない。倫理もただ漫然とやっていても意味がない、「やる」という強い意志を持って実践すること。それによってより良くなっていくものである。変わっていくものである。

 自分は変わるのだ、自分を変えるのだという強い意志が人の心を打ち、信用、信頼が寄せられる。更にいえば「喜んでやる」という姿勢が大切であり、その自主性こそ局面打開の鍵である。

2011年7月13日水曜日

大震災を受けて、いま私たちに求められていること  茅ヶ崎市市長 服部 信明 氏


 三期目を迎えた今、海に面した茅ヶ崎市にとっても東日本大震災で起きている事象は他人事ではなく、改めて災害に対する地域行政の総点検を行っておられるということで、市の災害対応に一人でも多くの市民が関心を持ってもらいたいということで、今回の機会となったようである。
 冒頭、今回の災害で被害を蒙った地域の被災者の皆さんにお見舞いと、激励の言葉で始まりましたが、服部市長の政治家へのキャリアルーツを塾経営を体験して、学校教育の在り方への疑問にあったとお聞きしたが、別の機会にそのその課題の進捗状況もお聞きしたいと思った。
 人の命、そして将来を背負う子供たちの健全な心身の成長への関心はこの国を思う人間すべての関心事でなくてはならないが、3月11日を境に、そのことへの関心が一際高くなってきたということは喜ぶべきことではあるが、これが政治家をリーダーとして考えにくい現況を憂える人は多い。ならば、・・・・ということなのだろう。
 3月11日の地震発生の直後から地域行政のリーダーとして実際に指揮をとり、何がどう動いたか動かなかったかを経験し、その実態の上で、地域行政の災害に対する緊急対策を練り上げておられるということで、この報告は年内にも行える準備を整えつつあるとのことで、其の機会にはぜひ、多くの市民の方々の参画を呼び掛けていきたいということである。神奈川県や国という上部組織もあるが、いざということは自らが頼りであり、自分の命を自らで守り、自分のことで人に迷惑を掛けない。むしろ隣近所と助け合う互助の関係を日頃から作り上げていくこと、そして正しい情報の伝達と入手、正しい行動への意識、
自分さえよければではなく、人を思いやるこころを持つという、人間が本来持っている素晴らしい能力を
呼び起こし、それをスタンバイさせていく社会の実現こそがこの貴重な体験から国民が得た気づきではないでしょうかと結ばれた。
 筆者は茅ヶ崎市民ではないが、一人の国民として、ぜひこのような考え方が世の中の価値観となっていくように自分自身も努力をしてまいりたいと思っております。茅ヶ崎頑張れ!

2011年7月10日日曜日

66歳、ルート66、6600km走破 大森 猛 氏


 ブログの字を大きくしろという人がいるので大きくしてみました。今日の講師は字を大きくしろとは言わないがごろ合わせが好きで、ダジャレ、おやじギャグが好きな大きな体の大森猛茅ヶ崎市倫理法人会の会長である。もう既に平塚のMSで今日の話をしたとのことで、本家が一番でなかった理由は何処にあるのか?と詮索しても時間の無駄?なのでカット。
 今回奥様をハーレーに乗せてルート66を走るのは三度目ということで、今回は6600kmの残り2,400kmを走破するというプロジェクトに挑戦したということだ。ルート66そのものについてはここで説明する必要もない。PCで「ルート66」と入れて検索すればインターネットが膨大な情報を浴びせ倒してくれる。ここでは東海岸のシカゴから西海岸のサンタモニカまでの大陸横断道路と紹介しておこう。
 筆者は大変なオートバイフリークで、子供のころまだオートレース場ではなく地域のダートで行われていたオートバイレース、鈴鹿のGPの大ファンであの高橋国光の大ファンであった。従って、ノートンやアグスタ、という欧州の名車たちやハーレーダビッドソンなどは知識の常識であった。特に社会人時代AMFとビジネス関係を持つ会社に居たので、そのころ傘下にあったハーレーはよく知っていたが、興味はもっぱらホンダの活躍だった。
 ルート66には歴史上、そして文化遺産上、大変大きな意味を持つ都市が散在しているようで、大森さんは撮ってきた写真をスライドに処理し、それを見せながら説明されていたが、参加者のほとんどが同世代とあって、すべての説明にみんながうなずき、会場はまるで人生のアルバムを一緒に見ているような雰囲気であった。
 最後に大森会長が「自分の国を外から見てみるといいですよ。よその国に行くとそれができるのです。この国の人は何を大事にし、何をよりどころにしていおるのか。それは日本の国
に対しても同じです。日本人が一番大切にしているものは何か、日本を弱らせるにはそれを潰せばいいと言うことを。米国は戦争に勝って、それを日本に処した。その結果、何が起きたか、ゆがんだ自由主義の対価は日本人の魂の喪失でした。今、多くの日本人がそのことに気が付き、行動を起こしつつあります。そして、だからこそ倫理普及活動の必要性が高まっているのです」と最後に結ばれたました。壮大な男のロマン、それを加齢の進行とともに失っていく、昭和10年20年代に「男のロマン」を思い起こさせていただきました。

2011年6月22日水曜日

「心を鍛える」(社)倫理研究所 参与 田口 勝 氏


行動=結果ではない。行動X心=結果である。という出だしで始まった今日のモーニングセミナー、今の世相というか日本において人間のあり方の問題提起として大いに心に響くものを残していただいた。心の持ちようによって不可能も可能にすることも出来ると実体験も交えながら、自分になければ智恵も人も借りたらいい、そうすれば無限の可能性を手に入れることが出来ると、滝口長太郎氏の生きざまを紹介しながらお話になった。正直、千葉県と言えば長太郎C.C.というゴルフ場しか知らない筆者であるので、インターネットで調べてみたら上記のブログが出てきました。詳細は上記ブログをご覧ください。
 今、過保護と他人への無関心という環境で育ってきた若者には苦難に耐え、それを跳ね返したり、それを糧にして切り開いて行くという力がない。その理由は、言わずもがな幼少期の家庭教育であり、人間形成の基礎を作る小学校の6年間が子供にとって不毛の時代であるからだと結論付けられたが、正にそれは我々世代の責任である。今、60近辺いやそれ以上になってそのことに気が付き倫理を勉強しても遅きに失してしまうのである。倫理(昔は家庭にあった、隣近所にあった)の勉強をもっと底辺にそして若年層にそして教育界に、もっと言えば政治家の世界に広めていかないと、半分以上終わった者たちが集まって勉強してもという気持ちにもなるが、そういうものでもないと心の持ち方をプラス思考に舵取っていくことにしましょう。それが純粋(すなお)という倫理の教えでもありますので。
 人間本来の純粋(すなお)は明朗、喜働、愛和と倫理の本には書いてある。この生き様こそが人間形成への道(倫)であり、いま問われている人の在り方なのだというお話と受け取りました。人間力を高めること、その先に見えてくるものは単なる成功不成功の何れかではなく、それを超えたモノなのだろう。
 と独断と偏見でまとめてみました。
 

「心を鍛える」(社)倫理研究所 参与 田口 眞

2011年6月19日日曜日

肌を科学する  講師 北原 慶子 様

今日の講師は寒川町生まれ、寒川町育ちで、厚木の七沢温泉にある古くからの石材店に嫁がれた北原慶子さん。お舅さんを看取られ、子育ても終わり、50歳になってから現在のお仕事である化粧品関連のビジネスに関わり、成功されている方だ。一般的にこの業界の人達が放たれる臭いというものを微塵も感じさせない清楚さと落ち着きが備わって、すがすがしくお話をお聴きすることができました。
 元々、化粧品などに興味がなかったと言われたが、女性であれば何時までも若々しく綺麗にいたいといういうのは当たり前のことであろうが、そこはこてこてと塗る既存の化粧品会社の化粧品でなく、低周波で通電しイオンを発生さ肌の内部まで化粧品の成分を効果的に機能させて肌を若々しく保つモイスチーヌ化粧品とその美容法に魅せられて業界に入られたということであった。
 いい肌の条件とは;「うなはだけ」というそうで、「う」は潤い、「な」は滑らか、「は」は張り、「だ」は弾力、
「け」は血色ということだそうで、大体の想像の範囲にある条件でした。肌は18歳頃までは28日で生まれ変わるそうだが加齢とともに年齢が加わるそうです。肌の三大課題は「しみ」「にきび」「しわ」だそうで、肌の構造から肌の再生のメカニズムまでを色々と説明された。
 肌のコンディションを整えるには;
   1.正しい洗顔
   2.マッサージ(刺激をかけない)
   3.栄養補給
が三原則だそうだが、年とともに活性酸素が出る、更にストレス等も老化の原因になるとのことで、モイスチーヌ化粧法は個々人の肌質を調べ対処方を決めていく方法を取っているということで、化粧品の成分が既存の化粧品とは全く違うそうで、イオン発生器を使って肌の内部に化粧品の成分を送り込もうとそれを妨害する成分が混入しているため、化粧品が機能しないのだそうです。対処療法的な既存化粧品に対してモイスチーヌは肌を抜本的に活性化させる働きをするので、アトピーとかニキビといった症状に悩む人達には効果が大きいという実例が出ているそうです。
 この東日本大震災を経験して、人の使命というものを考える機会が与えられ、自分自身もそのことに自問自答されたそうで、結論は「女性は太陽であり、世の中を明るくするものである。化粧品はそんな女性を美しくする仕事であり、十二分に社会的な意義のある仕事である」というものだと結ばれました。
 どうも有り難うございました。
 

2011年6月10日金曜日

今私たちがなすべきこと  講師 早瀬 徹 氏


 阪神大震災そして東関東大震災に接し、自分が今なすべきことは何だろうとセルフカウンセリングしたとき、それは現地へ行ってボランティアをやったり、寄付したり、物品を贈ったりすることではない。企業経営者であれば、自分の目の前の仕事の活性化に全力を傾け、儲け、納税を増やし、経済を活性化させることしかないと結論付けられたのが、今日の講師、早瀬 徹氏である。
 ここのところ我々人間、もっと言えば日本人のあり方が問われている。日本人が伝統的に持っていた一番大切なものは何なのか、それを再発見する機会になったのも、どんなに科学が進歩しても自然という抗うことのできない力が存在するという事実。
 講師、早瀬さんはご自分で苦労したと仰っているくらいだから相当に苦労を経験されてきたのだろうと思いながら聞かせていただいた。モチベーションアップをアチーブメントで勉強されている現役のバリバリなので、論旨も明快で、パワーポイントを使った資料も大変よくまとめられていた。一枚一枚のページに何時間割いても語りきれない話の内容がいっぱい詰まっていることを感じながら聞かせていただいた。倫理の勉強の中でいつも言われている「人を変えようと思うな、そう思う前に自分が変われ」という言葉が期せずして出てきたが、当日頂いた資料の中の「セルフカウンセリング」のページを下記に記しておきます。第一項の「私は何を・・・・」の「私」というところをいろいろと変えて考えていくと新しい世界が見えてくるような気がします。もの・こと・人・ビジネスの本質を再発見できると思います。

  1.私は何を求めているのか?
     →私にとって一番大切なものは何か?
       →私が本当に求めているものは?
  2.そのために今何をしているのか?
  3.その行動は私の求めているものを手に入れるのに効果的か?
  4.もっと良い方法を考え出し、実行してみよう

早瀬様、ありがとうございました。さわやかな後味の残ったいいお話でした。



















2011年6月1日水曜日

建築物と地震の関係にについて 河野 伸子 氏

今日は大森会長が米国出張中なので、会長挨拶は専任幹事の吉川精二さん。そして講師は建築事務所の代表、女性建築士の河野伸子さん。いつも仕事で一緒させていただくお二人である。河野さんは生まれも育ちも平塚で今も平塚に住んでおられる。社交的な女性で、すくすくと育って堂々たる押し出しである。ご自身はお世話になっていた建築事務所の社長の関係で横浜市倫理法人会の所属で、幹事を務められている。
 自己紹介と北里大出の化学専門のキャリアが何故、建築士になったか、その経緯をつぶさに聞いたのは初めてであった。それはおおらかさを地で行ったキャリアデヴェロップメントと言えるかも知れない。従って、個人経営は厳しいけれど、この仕事は大好きですと胸を張られた。
 会員さんの中には建築業界の方々が数名おられたが、テーマである地震と建物の話になると、河野さん手作りの小道具(写真で見ていただけると思いますが)による実験を興味深く見られていた。素人に話されるレベルで分かりやすく説明されたので、地震の波の長周波と短周波というものの存在やらそれによって建物に及ぶ影響等について、非常にわかりやすかった。ちなみに今回の東日本大震災の波は長周波、阪神のそれは短周波の地震だったとか。今回のは高い建物が振幅により上階ほど被害を受けたという調査が出ているとか。
 実務では構造という見地から建物や住宅を説明し納得いただけるように努めているとのこと。特に一部にデザイン的な見地を重視するあまり、耐久、耐震で問題が起きるケースが起きているが、自分としては構造上問題のある場合は、お客様から要望されてもはっきりと拒絶する信念を今後とも貫いて行きたいといわれたのが印象的だった。そして、結果的に何か起きた場合,姉葉事件でも分かるように一番弱いところへ責任がかぶさってくるのですからとも。
 準備方々、大変ご苦労様でした。ありがとう河野さん!

2011年5月25日水曜日

これからのまちづくり  寒川町町長 山上 貞夫 氏

 今日の講師は地元寒川町の山上町長さん。工務店業が生業であるが、知らぬ間(?)に町長になっていたという方である。地元の人間でない筆者は地元での評判のほうはよく知らないが、漏れ伝わる風聞によると積極的ないわゆる「やり手町長」さんという評判である。今日はその風聞の「源」をお聞きするモーニングセミナーとなった。このような講師を迎えて、受講者も30名弱を数え、町長が何を話されるのだろうかと興味をもった同業の方々もお見受けした。
 冒頭、茅ヶ崎市の服部市長さんから会員スピーチということで、茅ヶ崎市倫理法人会の活動にエールを送っていただいた。
 町長は根っからの寒川町のご出身ということで、地元の繁栄と町民の暮らし向きにことのほか関心が高いようで、地方行政の長は「地元出身者」が務めるべきであることを改めて痛感した。町長までの経緯を詳細にわたってお話になったが、上に立つ人の術をその過程で勉強されてきたようだ。
 町長に就任してからの活動報告をいくつかの項目に分けてお聞きしたが、町政は誰のためにあるのかという観点に立って、町民のコンセンサスをとることで、既得権の打破を目指されたようだ。当然のことながら変えることへの抵抗ややり方に対する批判もあるようで、これは世の常のこと。何よりも選挙で信任を得た以上は約束事を実行して、成果を上げていこうというリーダーシップの発揮が一番大切である。
 寒川町は先達の英断によって企業誘致に成功した土地であるが、そのことに甘んじず、今寒川町に向いて吹いている風を利用して、新たな街づくりに臨まれているようだ。寒川町に来てみるとさがみ縦貫道路の高速道路の橋げたが並び、東名や新湘南バイパスと連結されようとしているし、倉見には新幹線の駅を誘致しようと具体的な動きがある。そして大詰めを迎えた区画整理事業とそれに準じた企業誘致、そして寒川には忘れてはならない商売上手の寒川神社がある。これらのプラスの営業資産をどれだけ活用できるか、今寒川は熱いですね。
 

2011年5月19日木曜日

子は親の背中を見て育つ


 昭和18年の早生まれ、まさに我々と同世代を波乱万丈に乗り切って成功されたお一人だ。産めよ増やせよの国策で10人兄弟の9人目に生まれ、学歴もなく持病と戦い見事それを克服された生きざまには平々凡々とサラリーマン生活を送ってきた者には大きな岩で後ろから一撃を食らったほどの衝撃を受けた。ある意味では戦中、戦後を支えた我々の親のすごさというものを改めて思い知った一時間であった。
 淀みなく資料も見ずに話される言葉は決して技術とか話術とかというものではなく、お人柄がそうさせているのだろうが、メモを執るのもしばし忘れるほど話の中に引き込んでいく力があった。本当の実体験を自分の言葉で話されている迫力が隠されていた。
 今回の東関東東北大震災で被害を受けた仙台空港の近く岩沼市にホテル原田はあるそうだが、何度も仙台空港を利用した経験者には国道から分かれて川沿いを空港に向けて進んでいくあの景色が今はどうなっているのかとふと想ったりしている。
 盛り沢山で一つ一つがドラマになりそうなことばかりで、困っているが、その中でも95歳で大往生された父親との関り方が、この話のバックボーンになっているなと感じたのは筆者だけではなかったようだ。セミナー終了後の懇談朝食会において、出席者の大多数が「親の背中」の問題について触れられていた。筆者もそうであるが、父親には今も畏敬の念を抱いている。残念ながら父親を越えられそうにはないが、DNAの少しは受け継げたようだ。しかし、
厳しさは到底及ぶべくもない。そして子に対する影響力も。そんな反省を感想として述べさせていただきました。
 キャバレー遊びで得た知識、それはNO.1,NO.2に会うことだそうだ。そこで気が付くことは押しなべて特に美人ではないということだそうだ。しかし、高収入の秘密は?というと、それは人よりも数倍努力をしていることだそうだ。なんでもトコトンやれば運は向こうから向いてくると結ばれた。貴重な時間に仙台から来ていただき、ありがとうございました。

2011年5月1日日曜日

波乗り人生  アシスト・クルー㈱代表取締役 長嶋 徹 氏


今日の講師は毎週MSでお顔を拝見する長嶋徹さんでした。日に焼けた顔をされているので、その原因が若いころから親しまれてきたサーフィンによるものだということがよそ者の筆者に初めて分かったという次第で、失礼な書き方をするかも知れませんが、ご容赦を願います。
 最初にサーフィンの話、波の話をされたが、分かったことは波の音は1分間に約18回ほど岸に打ち寄せるそうだが、それは人間の呼吸数のほぼ半分であるそうだ。ゆえに波の音を聞くとリラックスして心が休まるということだそうだ。ちなみに呼吸数は36、脈拍数は72ということだそうだ。サーフィンのだいご味は波に乗った時に感じる五次元的な空間で、それは永遠の時間的空間に身を置く感覚を味わうことだそうだ。
 波にも周期があり、自然界にも不変の法則がある。そうと分かれば変化に対応するのにあわてることはない。いずれにしてもなるようにしかならない。フランスの学者は景気の波10年説を唱えたが、これは設備投資の耐用年数からきている。アメリカの学者は20年説だが、これは建設投資がベース。たとえば伊勢神宮の式年遷宮などがこれにあたる。ソビエトの学者は48年から60年説だが、これは技術革新がもとになっているそうだ。
 人生にも論語にうたわれているような節目があるが、自分の人生を振り返って、29歳で父親が急に亡くなられて家業のクリーニング店を引き継がれたが、経営という観点から人が育っていなかったために味わった苦労とそれ故に生まれた斬新な個人事業主制度というアイディアやダスキンとの取引、そして異業種のミスタードーナツのフランチャイズ店事業、等々。その間さまざまな事件が起きたが、それは図らずも「世の中、自分の意志ではどうにもならない事が起きる」という大宇宙の秩序、法則があるということを実感を持って感じる機会になった。自分の信条はドラッガーがいう「変化を待たず、自らそれ(変化)を創りだしていく」ことである。倫理の教えの実践をとおして、自らの中に「新しい人生観、倫理観が生まれればいい」と考えていると結ばれた。

2011年4月21日木曜日

倫理実践の要諦  法人局スーパーバイザー 大園義友 氏

今日のMSは昨夜の倫理経営講演に引き続き、大園義友法人局スーパーバイザーによる倫理実践の要諦というテーマで行われました。昨夜のもう一人の講演者である福岡県筑後倫理法人会の会長武久和生氏も同席されて、いつにない熱のこもったMSとなりました。出席者数は21名。
 冒頭、昨夜の講演会の稼動数が100のところ74名しか行かなかったことに対し100の努力が足らなかった、74の努力しかしなかったと叱責を受けたが、そのとおりだろう。
 世の中何が起ころうともそれは自分の心次第であって、それを自分の問題として素直に取り入れる、いわば悟りの境地にも似た倫理実践者の在り方を説かれた。
 主題の倫理実践の要諦のキーワードは:

 1.即行  
   常に平常心を保ち、気が付いたらすぐやる、すぐやめる。これを一ヶ月間徹底する。そうすると余計なことに気が付かなくなり、人のアラや欠点が目に付かなくなる。一つをすぐに片付ければ、次の新しいことが出来る。この循環が大切。

 2.純粋(すなお)
   そのまま澄んだこころで無心に行うこと。心の連鎖をつないでいくことによって、本来の目的に到達できる倫(みち)になる。即行と表裏をなす言葉である。

 3.直行  
   わき見をせず、寄り道をせず、後を振り返らず目的を断行する。いたずらに本音を隠す必要は無い、本丸へ直行する。

 4.結果を考えない
   結果は天のみが知る。人生の歴史、企業の歴史は失敗の連続である。王道(天上の意思〔絶対無二の〕)を行け、くよくよするな。

ということであった。このモーニングセミナーは皆さんが「自分の行いをリセットする場所」ですよと結ばれたが、このモーニングセミナーの価値観をズバリ指摘されたような気がした。この部屋を出るとき、自分をゼロに戻し、外へ出たら1からは始めましょう。人間として企業人として原点へ還ることです。
 

2011年4月11日月曜日

日本を変える超元気力 パート3 講師 高村龍蔵 氏


 三ヶ月続いた高村講師の「日本を変える超元気力」講座は今回が最終回となった。第一回は「言霊力」ということで「ありがとう」を繰り返すことによって起きる不思議な連鎖を、第二回目は「共感力」ということで人の話を良く聴くことによる効果を、そして今回最終回は「巻き込み力」ということで経営者であれば右腕、左腕を作ることによって企業力の基盤が固まるという話をいただきました。
 「日本を変える超元気力」の「日本を」を「自分を」に置き換えてみると、それは自分自身を変えることを意味し、「ありがとう」の効果は自分自身を喜ばせることに通じ、それは自分自身を元気付け、勇気付けること。それは今までの自分と違った「自分づくり」をすることである。
 社長は企業の責任者であり、その立場は重い。従って、社長が発するメッセージは極めて重い。それ故に発するメッセージの重要度を認識する必要がある。話し手と聞き手という問題においては話し手の良し悪し、巧拙の問題ではなく聞き手の姿勢である。即ち、どれだけその人の身になって聞いてくれるかによって見えなかったもの聞こえてこなかった本当の話も聴けるかも知れない。それが経営者の従業員に対する姿勢であり、そこから結束が生まれる。これは倫理で言う「素直」の実践である。
 会社の中に少なくとも側近といわれる社長とビジョンを共有できる人が居れば、線が面になる。そうすれば組織への伝播は磐石になる。とこういうお話だったように思います。三回にわたって聞いた会員が14名おられたということで、氏のお話への興味を物語る証明となった。ご苦労様でした。有り難うございました。

2011年4月4日月曜日

寒川神社清掃奉仕 


 今日は第五水曜日ということで、清掃デーに決められている。そこで、前回はMSの会場であるホテルサンライフガーデンの周辺を掃除したが、今回は寒川町の相模一之宮寒川神社の境内となった。何度もやっているので、手際が良い。比較的落ち葉等で汚れていた地面も45分ほどで見違えるようにきれいになった。本殿に近い部分は神官が掃除をされているが、参道や休憩所、駐車場までは行き届いていない。もともと信心の厚い人達が来るので、びっくりさせられるようなゴミは落ちていない。
 今朝は、気温も緩みぐーっと楽になった。境内の日当たりの良い場所にある桜にはほころびかけた花がいくつか見られる。ここ二週間ほどが花見の絶好の季節であろう。
 統一地方選が告示されたので、選挙モードに入ったようだ。何人かの会員さんはお手伝いで忙しそうだった。本番はこれからではあるが。

2011年3月30日水曜日

道を拓く  倫理研究所首都圏方面長 伏木 久登 氏


川津桜が咲き、花の蜜をついばむメジロが姿を見せ、本格的な春の到来はもうそこまで来ている。今朝のMSの講師は首都圏方面長の伏木久登氏においでいただいた。テーマは「道を拓く」ということで、こころの持ち方が道を拓く源であるというお話をいただきました。前段でなぜ今、道を拓くという行動が必要なのかと言うお話を頂いたが、これは倫理に参加されている会員ならば、誰しもわかっていることではあるが、それをどう打破していくか、身近な例として今日のMSで会員スピーチをされた川野幹事を例に、判りやすく話していただいた。人として、更には経営者としてとるべき対処は消極的な対処法では何も生まれない、むしろジリ貧への道をたどる。止まることは敗北を意味し、前進のみが問題を解決して成長していく道であり、企業人ならばこのスタンスが必要であると。従って、頭で考えるよりも「行動」することにより自分がそして周りが変わるという循環になる。繁栄や成功も永続的でなくては本物でない、人に即ち、世の中に認められてこその話であり、その為には小我を捨て、大我を尽くすことである。この大我とは人も企業も同じであるが、自己の個性を出来るだけ伸ばして、世の為、人の為に使うことである。自分の損得と言うバランスから言うと得にはならないが、周りに役立つと思えばそれをやり続けることが大我に生きることである、その意味で「こころ」こそが道を拓く全ての源であるというお話であった。正しい動機、正しい思想、それは人にそして世の中に役に立つかどうかが物差となる。

2011年3月9日水曜日

先達の願い


今日のMSの講師は菊地英昭さん。寒川神社となりにある曹洞宗の禅寺興全寺の住職である。住職の傍ら、東京理科大学の非常勤講師も務められ、ご専門は教育法規と言うことなのだが、その中でもアメリカの教育事情がご専門とのこと。少し、米国の流れも説明され、今や学校も選択の時代に入り、子供と親が自分のやりたいことをはっきりさせてその目的に沿った学校選びの時代になっているとのことだ。日本でも中教審で教育バウチャー制度の導入が提案され、学区の撤廃等を行い、公立学校にも競争原理、市場原理を持ち込む動きがあるとか。世界各国の教育制度や教育事情を見てみると、一長一短はあるが、そのなかでもフィンランドの教育レベルは世界のトップにランクされるが、一部のエリートを作る教育ではなく子供全体の教育レベルが平均して高いということにあるそうだ。教育の特徴として語学を大切にしていることが挙げられるそうで、国語はスウエーデン語であるが、その他2ヶ国語、計三カ国語が必須だそうだ。国語教育の重要性が図られていることが、最大の特徴とのこと。日本では今年四月から小学校の5・6年生に英語教育が導入されるそうであるが、果たして、その受け皿が出来上がっているのかどうか?と述べられた。  菊地さんのもう一つの顔はさむかわの国際交流協会の会長を務められていることだ。米国のペンシルベニアにあるワシントン&ジェファーソン大学の学生と寒川との間で行われる交換留学制度の運営を行っておられる。子供たちは異文化に触れることで、逆に自国の文化に対する興味が呼び起こされるという。米国にはキリスト教徒で「アーニッシュ」という派があるそうで、15万人ほどの教徒は電気は使わず、移動するにも車は使わず、歩くか馬による移動を行うそうだ。要するに文明の利器は使わずに現代に生活しているそうだが、その社会で子供たちにその生活を体験させることで、子供たちが得られるものは限りなく価値を持つことが多いということだ。多分、我々が忘れて久しい「something never change」があるのだろう。  膨大な参考資料を頂き、それとお話も広範囲だったため、正確な把握ができているのかどうか不安であるが、間違っていたら訂正、そしてお許しをいただきたい。我々の世代の共通した思いは「子供たちが心身ともに健やかに成長し、この国を立派に守ってくれること」だ。菊地御住職の活動にエールを贈らせていただきたい。

2011年2月19日土曜日

チャレンジ精神が人生を変える


 世の中には異才といわれる類の人が居るものだ。特にここ湘南茅ヶ崎、寒川にはそんな異才が沢山おられるようだが、もしかしたら何処にも同じように異才といわれる人たちが居るのだろう。ただ、ほとんどの場合、知らない、知らされていないだけかも知れないと、ふと思う。
 今日は地元、寒川町が産んだ異才が講師である。工務店をやる傍ら、歌謡曲の作詞家をされている才人が講師である。名前は山上はるおさん。れっきとした現役の工務店社長である。この工務店の社長と言うのが、以外に才能の宝庫である。中にはスキーのインストラクターを務めたり、民謡も玄人はだしと言われる人もおられるのだ。
 今日の講義のテーマはチャレンジ精神、そのこころが未来を拓くということで、山上講師はご自身の人生を、数多くのエピソードを話しながら語られた。印象的だったのは不動産仲介に関する儲けの話だ。ダメもとで仕掛けた話が、思わぬ展開を見せて、一夜で何千万円の仲介料を得た話などは、人生の機微を暗示している。すべからく諦めは禁物、続けることで自然と運が向いてくる。株の言葉でいえば「天井三日、底三年」なのだと。
 大いに元気付けられると同時に、齢を重ねるごとに弱体化してくる「諦めない気持ち」と言うものの維持管理の大切さを思い起こさせるお話でした。自省も含め・・・。

2011年2月3日木曜日

日本を変える超元気力


 それは「言霊力」であるとという前置きから始まったモーニングセミナー。今日の講師は有限会社ファニーフェースの代表取締役の高村龍蔵さん。筆者の記憶する限り、二度目の来場である。この題目で100箇所で講演をする計画であるという。そして一人でも自分が話すことを判ってもらえれば、そしてそれを人に伝えてくれれば、間違いなく日本を変える大きな力を発揮することになるだろうとう信念でやっていると語られた。
 先ず、朝起きたときに鏡を見て笑顔を作り自分に「ありがとう」ということを浴びせかけなさい。「ありがとう」で変わる効果は計り知れないものがあり、是非実行すべきであると続け、それを自分の職場で徹底して行えば、必ず何かが変わっていく。お義理で言うのではなく、こころを込めて発することで、それが波動となって人のハートを打つ。日本を変えるということはあなた自身を変えること。すぐには効果は出ないかもしれないが、やり続けるしかない。
 当会の印象も前回と比較して、厳しい指摘を頂いた。全員で力を合わせるというカタチが出来ていない。例えば、朝のMSの準備も役員が全員出席してやっているわけではなく、大森会長と川野役員が二人でやっておられたが、これなぞは根本的に対応を変えないといけないとご指導をいただいた。
 来月、再来月と計三回にわたって、講話を頂くことになっている。楽しみにお迎えしたい。

2011年1月20日木曜日

歌える人生のよろこび


 今日のMSの講師は昨年から会員になられ、現在幹事として活躍されている我が茅ヶ崎市倫理法人会会員の舛水政美さん。45歳の新進気鋭の倫理マンである。筆者は住まいが横浜市内とあって寒川・茅ヶ崎・平塚と湘南で活躍されている演歌歌手神川ひろし(芸名)のひととなりは全く知らないので興味深く拝聴した。
 寒川生まれで寒川育ち、13年間地元の病院で勤務されてのち、幼少の頃よりの夢であった演歌の道に入られたとのこと。その経緯をリアルに語られ、話に引き込まれていった。昭和62年頃から病院勤務のかたわらで、歌の指導を始められたが、疑うまい、好きだからだけではダメだということで、指導者養成講座の通信教育を受けて、日本歌謡指導連盟の指導者認定を受け、沢山の生徒さんの指示を貰って多忙な時間を過ごされたが、生徒は大抵が自分より年長者、その年長者に演歌(人生)を指導することは大変な努力が要ったと語られたが、例えば駄目な歌でもストレートにダメと言わないで、「ここをもう少しこうしたらもっと良くなる」などと言ってモチベーションを下げない工夫をされたそうだが、これなどは指導の機微の部分だろう。
 指導者の道を経て、平成15年、神川ひろしの芸名でプロ歌手の道に入られた。そこで見た芸能界の裏側を少し語られたが、「挨拶が最初で全て」という裏方の言葉の意味の重みやそこで目にしたことを「万象我が師」にして歌手生活でも倫理的な行動や考え方を貫いてこられたようだ。大門三郎さんに倫理法人会への入会を勧誘された時も「変わるよ」という一言がきっかけとなったとのこと。そして今、自分が「変わり始めている」という実感を持っていると語られた。
 ライフワークは歌の道を志す人々に小さくてもいいから「場(舞台)」を提供してあげること、そして歌手を育てることの二点であると結ばれた。地方にはテレビに出ないが、地域で活躍している沢山の歌手がいるとのこと、その活動を強い意思を持って展開されているお一人として、益々のご活躍を期待しております。有り難うございました。

2011年1月13日木曜日

ぶっど(気づく) すらた(性) 思いのままよりありのまま


 真言宗南泉寺のご住職脇領至弘和尚さんを迎えて、新年二回目のモーニングセミナーが行われました。現職の僧侶の方がおいでになるということで、どんな話が聴けるか興味を持って臨まれた方が多かったようだ。都会であればあるほどお寺との日常的なお付き合いは希薄になる。さらに地方から都会へ出てこられた家などはその傾向が強いことは言うまでもない。浄土真宗のメッカとも言える尾張平野の南部で育った筆者にとっては子供のころからお寺とのお付き合いは日常茶飯事で、お寺の裏山や本堂や鐘つき堂などは遊び場だった。和尚さんにも可愛がって頂いた記憶がある。その意味で幼少時の人間形成に大いに影響を及ぼす存在であった。
 今、65歳を超え法事の時にしか和尚さんの説教を聴く機会しかないが、65年の人生経験の上で聴く話は非常に判りやすく、身近な問題として捉えられることに驚きと納得をしている自分に気付く。
 今日の講話のために師は書き物を色々とプリントして判りやすく解説をしていただいていた。それでも凡人にとっては難解な仏の道、人間の道なのだが、我欲をすててありのままをありのままに受け入れることが本来の人間のあり方であり、それを続けることにより、さらにいい方向へ自分を導くと「直観力」が生まれてくるという導きは共感を持って聴くことができた。
 今日、教わったことを正確にブログに書くほど理解力がなく、却って誤解を招く恐れが在るので、この程度の報告にさせていただきたい。