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2011年5月25日水曜日

これからのまちづくり  寒川町町長 山上 貞夫 氏

 今日の講師は地元寒川町の山上町長さん。工務店業が生業であるが、知らぬ間(?)に町長になっていたという方である。地元の人間でない筆者は地元での評判のほうはよく知らないが、漏れ伝わる風聞によると積極的ないわゆる「やり手町長」さんという評判である。今日はその風聞の「源」をお聞きするモーニングセミナーとなった。このような講師を迎えて、受講者も30名弱を数え、町長が何を話されるのだろうかと興味をもった同業の方々もお見受けした。
 冒頭、茅ヶ崎市の服部市長さんから会員スピーチということで、茅ヶ崎市倫理法人会の活動にエールを送っていただいた。
 町長は根っからの寒川町のご出身ということで、地元の繁栄と町民の暮らし向きにことのほか関心が高いようで、地方行政の長は「地元出身者」が務めるべきであることを改めて痛感した。町長までの経緯を詳細にわたってお話になったが、上に立つ人の術をその過程で勉強されてきたようだ。
 町長に就任してからの活動報告をいくつかの項目に分けてお聞きしたが、町政は誰のためにあるのかという観点に立って、町民のコンセンサスをとることで、既得権の打破を目指されたようだ。当然のことながら変えることへの抵抗ややり方に対する批判もあるようで、これは世の常のこと。何よりも選挙で信任を得た以上は約束事を実行して、成果を上げていこうというリーダーシップの発揮が一番大切である。
 寒川町は先達の英断によって企業誘致に成功した土地であるが、そのことに甘んじず、今寒川町に向いて吹いている風を利用して、新たな街づくりに臨まれているようだ。寒川町に来てみるとさがみ縦貫道路の高速道路の橋げたが並び、東名や新湘南バイパスと連結されようとしているし、倉見には新幹線の駅を誘致しようと具体的な動きがある。そして大詰めを迎えた区画整理事業とそれに準じた企業誘致、そして寒川には忘れてはならない商売上手の寒川神社がある。これらのプラスの営業資産をどれだけ活用できるか、今寒川は熱いですね。
 

2011年5月19日木曜日

子は親の背中を見て育つ


 昭和18年の早生まれ、まさに我々と同世代を波乱万丈に乗り切って成功されたお一人だ。産めよ増やせよの国策で10人兄弟の9人目に生まれ、学歴もなく持病と戦い見事それを克服された生きざまには平々凡々とサラリーマン生活を送ってきた者には大きな岩で後ろから一撃を食らったほどの衝撃を受けた。ある意味では戦中、戦後を支えた我々の親のすごさというものを改めて思い知った一時間であった。
 淀みなく資料も見ずに話される言葉は決して技術とか話術とかというものではなく、お人柄がそうさせているのだろうが、メモを執るのもしばし忘れるほど話の中に引き込んでいく力があった。本当の実体験を自分の言葉で話されている迫力が隠されていた。
 今回の東関東東北大震災で被害を受けた仙台空港の近く岩沼市にホテル原田はあるそうだが、何度も仙台空港を利用した経験者には国道から分かれて川沿いを空港に向けて進んでいくあの景色が今はどうなっているのかとふと想ったりしている。
 盛り沢山で一つ一つがドラマになりそうなことばかりで、困っているが、その中でも95歳で大往生された父親との関り方が、この話のバックボーンになっているなと感じたのは筆者だけではなかったようだ。セミナー終了後の懇談朝食会において、出席者の大多数が「親の背中」の問題について触れられていた。筆者もそうであるが、父親には今も畏敬の念を抱いている。残念ながら父親を越えられそうにはないが、DNAの少しは受け継げたようだ。しかし、
厳しさは到底及ぶべくもない。そして子に対する影響力も。そんな反省を感想として述べさせていただきました。
 キャバレー遊びで得た知識、それはNO.1,NO.2に会うことだそうだ。そこで気が付くことは押しなべて特に美人ではないということだそうだ。しかし、高収入の秘密は?というと、それは人よりも数倍努力をしていることだそうだ。なんでもトコトンやれば運は向こうから向いてくると結ばれた。貴重な時間に仙台から来ていただき、ありがとうございました。

2011年5月1日日曜日

波乗り人生  アシスト・クルー㈱代表取締役 長嶋 徹 氏


今日の講師は毎週MSでお顔を拝見する長嶋徹さんでした。日に焼けた顔をされているので、その原因が若いころから親しまれてきたサーフィンによるものだということがよそ者の筆者に初めて分かったという次第で、失礼な書き方をするかも知れませんが、ご容赦を願います。
 最初にサーフィンの話、波の話をされたが、分かったことは波の音は1分間に約18回ほど岸に打ち寄せるそうだが、それは人間の呼吸数のほぼ半分であるそうだ。ゆえに波の音を聞くとリラックスして心が休まるということだそうだ。ちなみに呼吸数は36、脈拍数は72ということだそうだ。サーフィンのだいご味は波に乗った時に感じる五次元的な空間で、それは永遠の時間的空間に身を置く感覚を味わうことだそうだ。
 波にも周期があり、自然界にも不変の法則がある。そうと分かれば変化に対応するのにあわてることはない。いずれにしてもなるようにしかならない。フランスの学者は景気の波10年説を唱えたが、これは設備投資の耐用年数からきている。アメリカの学者は20年説だが、これは建設投資がベース。たとえば伊勢神宮の式年遷宮などがこれにあたる。ソビエトの学者は48年から60年説だが、これは技術革新がもとになっているそうだ。
 人生にも論語にうたわれているような節目があるが、自分の人生を振り返って、29歳で父親が急に亡くなられて家業のクリーニング店を引き継がれたが、経営という観点から人が育っていなかったために味わった苦労とそれ故に生まれた斬新な個人事業主制度というアイディアやダスキンとの取引、そして異業種のミスタードーナツのフランチャイズ店事業、等々。その間さまざまな事件が起きたが、それは図らずも「世の中、自分の意志ではどうにもならない事が起きる」という大宇宙の秩序、法則があるということを実感を持って感じる機会になった。自分の信条はドラッガーがいう「変化を待たず、自らそれ(変化)を創りだしていく」ことである。倫理の教えの実践をとおして、自らの中に「新しい人生観、倫理観が生まれればいい」と考えていると結ばれた。