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2010年12月9日木曜日

議員の責任とは?


 ここのところ茅ヶ崎市市会議員の講師が続いている。今日は二期目で教育経済常任委員長を務められている永田てるじ議員においでいただいて上掲の議題でお話いただいた。地方議会の内容など一般的にはなじみがなければならないのに実際にはほとんどない地方議会の有様が良く分かってきた。
 責任とは「決断すべき時に決断することだ」と先ず、結論を出した上で、これは経営の舵取りとて同じではないかとも。世襲でもなんでもなかった自身の議員への道を述べられた後、議会で手がけられてきたいくつかの案件について自分の考え方、立ち位置を述べられた。
 まず、国政で行われて注目度が高い事業種分けは茅ヶ崎では決算承認のプロセスを変える作業と酷似しているということで、事業評価制度がベテラン議員の抵抗を押しのけて、決算の議会評価が行政の予算作成に生かされるようになったこと。
 次に議員定数の削減問題に関する自身の考え方、そして小中学校の空調問題への対応、そして今一番関心が高い、市庁舎建替え問題。通常は60年で建て替えが標準であるが35年しか経過していない市庁舎を耐震・耐久面からの問題から、他の案件を犠牲にしてまで、全面建て替えが必要かどうかの議論であるが、30名の議員のうち、建て替え賛成派が20名、反対が10名ということで、自分は当然のことながら反対で耐震補強工事で済まし、他の案件に予算を回す考え方であると述べられた。
 議員は特定個人の利益を代弁するものではなく、市民の利益を代弁するものでなくてはならないと最後に締めくくられた。

2010年12月1日水曜日

義理よりも重いもの。それは妻の愛。


 誰にも長い人生の道のりの中で大きな影響を受けたりお世話になった人は大なり小なりあるものだが、今日のお話の主人公は任侠とかたぎを扱った映画のそれを見るようだった。現在、近くにいる人たちも山本講師がこんな歴史をお持ちだったことをご存じなかったようで、それだけに迫力のあるお話だった。
 高野山の麓から高卒後、家出同然で絵の勉強のために頼る人もない東京へ出てきた度胸からして凄いことなのだが、上京直後に遭遇した裏社会の親分との邂逅。薄々裏社会の人と知りながら人生の師と仰ぎ、屋根裏の3畳間ですごした料亭の下働き時代、母親の死を契機に里帰りして3年間過ごした和歌山時代、そして奥さんとの巡り合いから結婚にいたる経緯、そして裏社会の組織の後継者として嘱望されながら義理を取らずに堅気を取った決断。そしてその決断の決定的な決め手になった奥様の存在。人生の大恩人の死。この人生の流れはまさに仁侠映画の流れそのものだ。それほどまでにドラマチックに一途に生きてこられたが、何よりもまして感心したのは運の強さであり、その運を取り込んでいく人間性の素晴らしさだろうと推察しました。
 まさに同年代で、同じ時代を生きてきた仲間として、共感とうらやましさ、そしてこれからの世の中に対する使命感というものを感じたMSでした。有り難うございました。