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2010年11月24日水曜日

地方議員って何しているの?


 今朝のモーニングセミナーは地元の二世市会議員として「えっちゃん」の愛称で親しまれている山田えつこ茅ヶ崎市市会議員をお招きした。筆者は地元でないので、詳細は分からないが講話を通じて女性特有のいやみを感じさせない誠実な人柄を感じた。そのことは講話の後の朝食会にいまだ見たこともない数の会員が押しかけて、用意した席が間に合わなかったことで、一層リアリスティックなものとなった。写真からもそのことを感じ取っていただけるものと思います。
 今から三年半前に市会議員に出て当選された、いわゆる一年生議員であるが、社会経験、人生経験を重ねて50歳前に市会議員になられた。父上が市会議員を引退するに当たって自分で手を挙げられたということで、社会の現況、市の現況に対する問題意識を相当積み上げた上での決断だったと語られた。但し、親の地盤を引き継いで当選したとか、二世議員とかいわれることが一番嫌だったということで、それを払拭する努力を重ねられたようだ。
 自分の信条は「フットワークを軽く」ということで、倫理の「日々好日」に通じる。人の話の「芯」は何処にあるのか、何が正しいか判断し、適切に行動に移す。そのスピードをモットーとしてきたが、失敗を重ねることもあると語られた。しかし、「運命自招」の中で語られるようにその積極的な行動が自身の運命を切り開いていくことを体験してきたと語られる。「市会議員って何しているの?」という問いの原点は市会議員が何しているのか市民の皆さんに見えないことにある。
 市会議員としていつも考えていることは「市民の幸せと街の発展」であり、個別の利益を叶える立場ではないと力強く語られ、講話を閉められた。華があり、人柄も素晴らしい方なので支援者もこれからどんどんと増えるだろう。さわやかなモーニングセミナーを有り難うございました。
 

2010年11月17日水曜日

掃除から学んだこと


 今日の講師は長野県倫理法人会の相談役安江高治様である。10年のベテランで、県の会長も務められ現職である。会長職の二年間、録音しながらセミナーレポートを書き続けられたというかたなので、このメモを作成するにも緊張する。安江講師の言葉を借りるまでもなく、写真を撮り、編集し、メモを作り、ブログにアップするに必要な時間はコストにすると膨大なモノになる。自分のためにやっていると思えばストレスはないが、このブログをどれだけの人が読み,観、感じていただいているかを知る手立ては正直言ってない。
 ともあれ、講師の掃除を始めてから今日に至るまでに得られた物事の見方、価値判断というものは大いに参考になり、指針に満ちているので以下に列記させていただく。
 1.何事を行うにも「準備万端」が絶対
 2.物事が「計算どおり行く」ということは在る。行かないのは
   計算が甘いからだ。
 3.邪魔にならないなら邪魔になった時に処理すればよい。いろんなものを
   抱えながら如何にやっていくか、その方が意味がある。
 4.完全だったら成長はない。不完全を持ちながらどう成長していくか、
   ここが大切。
 5.逆風には無駄に逆らうな。
 6.隣を綺麗にすると自分のところの汚さが分かる。自分のところの
   問題が分かる
 7.環境も明朗でないといけない。
 8.ケアーしなければ雑草も伸びるし、人間も堕落する。

 折から会場のサンライフガーデンは建物にクリスマスのデコレーションとライトアップが図られ、幻想的な世界が相模川の川辺に展開されている。長野から遠路おいでいただいた安江様にもいい思い出になったことをお祈りします。いいお話を有り難うございました。

2010年11月13日土曜日

亡くなった親の前で胸を張って自分自身を語れるか!?


ここのところ快晴が続き、秋を満喫されている方々が多いようで、通行料無料化の湘南バイパスは車の通行量も多く、紅葉の箱根へ向かわれる人も多そうである。
 茅ヶ崎市倫理法人会のモーニングセミナーの講師は北海道から大村秀明法人S.V.に来ていただき、「事業経営は家庭から」というテーマで講話をしていただいた。「家庭を治められないものに会社を切り盛り出来るのか!」という話なのだがいささか耳の痛い話でした。
 ご自身の倫理とのかかわりの歴史をお話になったが、動機はあるスーパーバイザーに会い、話を聞きたいという願いからだったという事だった。何事も古今東西、人の転機は他人により動機を与えられたことによるケースが圧倒的に多いようだ。人として生きる以上当然といえば当然なのだが、その程度、大きさは個人差がある。従って、何かを感じるという感性の磨きが人を変え、進歩させていくことになるだろう。もっといえば、受身では何も起きない、何も得られないということで、感じたら兎に角「即行」しかない。それが倫理でいう実践だと語られた。この実践によって、自分を変え、自分の心の在り方を築き上げていく、それが倫理の「倫(みち)」であると。
 あなたは「亡くなった人と会話してみて自分自身を胸を張って語れますか?」と問いかけられて、衝撃を受けた。自分が名古屋へ帰って墓参りする時、墓前で言える言葉はいつも「お世話になりました。おかげさまで」程度であって、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
 最近、「希望がなくなった、希望を見失った」と言うことが語られる機会が多いが、そのことも含めて、今一度、日々の生き方に対する自問自答へのいい機会になりました。