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2013年10月30日水曜日

26年度県方針   神奈川県倫理法人会会長 川内 美喜男 氏


 今月は当会のブログの月間ページビューが1,500を超え、新記録となる見込みです。何が原因かは把握できておりませんが、嬉しいことです。倫理法人会は全国10万社会員獲得を目指して拡充活動を行っておりますが、こういった広報活動もその推進の一助になるのではないかと思って入会以来、このブログサイトを担当して参りましたが、会員全体の意識は低く、人に伝えようという意欲と行動はお世辞にも充分とは申せませんね。まあそれ以上の言及は避けるとして、本題に入ることといたします。

 テーマにあるように県の平成26年度活動方針を広く単会の会友の皆さんにまで理解して行動に移してもらおうと新任の会長の想いを言葉を選び、話される様は当会執行部にあった温度差を敏感に感じ、言葉にされたという印象を強く受けました。

 今期の活動方針を「足下を固め、力を結集し、新たなステージを切り開こう」とし、単会の拡充をキーワードに原点回帰と単会拡充を果し会員相互の理解と結束を深め、県としての目標会員数(1700社)への到達への足掛かりを作ると決定され、県主催の役員辞令交付式、幹部研修やその他の定期開催会議で示達されている。

 その為の取り組み事項として
  1.県内地区制を3地区から4地区に改訂し、地区長と単会会長の
    関係強化を図る
  2.モデル単会の合格単会を7割まで拡充し、さらに合格単会のレベルアップを図る
  3.県内レクチャラーの養成し、法人レクチャラーへ育成
    (毎週のMSでは会員スピーチを行う)
  4.倫理経営講演会は「朝礼実習」を組み合わせて構成する

 この基本施策をお話になり、その方針に沿って茅ヶ崎市倫理法人会の運営が行われることが
朝食会の席上、今朝のMsのまとめとして朝倉会長から述べられました。



2013年10月26日土曜日

Aikaサウンドセラピーコンサート  サウンドセラピスト 橋本 恵子


 サウンドセラピストAIKAさんを招聘して平塚市倫理法人会の5周年記念イベントが行われました。筆者はカメラマンとして公式に許可を得て、会場内で写真を撮る幸運に恵まれました。
「魂に響く 魔法の声」と云われるAikaさんの歌を聴くのは初めてでしたが、評判はかねてより聞いておりましたことと、それが古い教会で行われるという舞台設定が筆者の気持ちをコンサートに向かわせました。外から建物の写真は撮ることが度々ありましたが、内部は初めて、どのようなインテリアなのかパイプオルガンのサイズは?と云ったところに取りあえず興味があり、到着するとすぐ、会場を見に行きました。

 ここはホテルの売り物の一つである「ヨーロッパの教会での結婚」のメインステージ。教会の器の中に、演出の小道具がしっかりと用意されていてこれ以上の環境は無いという極め付けの舞台設定となっていた。


司会に男性だけでなく、女性を
配されたのも平塚らしい心遣い










今回の企画を立ち上げ、実行に移された
市川モーニングセミナー委員長。
このイベントには格別の思い入れが
あったようだ。

この企画に至った経緯を述べられる市川さん


ベートーベンのピアノソナタ「悲愴」で始まったコンサート。ピアノと
Aikaさんの愛娘のフルートを配して行われた


Aikaさんことサウンドセラピスト橋本恵子さんの登場


1995年阪神淡路大震災で被災、
「私たちが生き残ったのは奇跡です。
だからこそ、今ある命に感謝しよう」
と一念発起、これが、「サウンドセラピニスト
Aikaの原点」と記されている。







三重苦の天才マザーテレサの生きざまに
啓発されて、自分の思考回路を変えたと
話された








  作家の神渡良平氏もコンサートに
  応援で来られ、多くの神渡ファンの
  前で、自分自身の人生に対する
  想いを語られた






  
  神渡先生のお話に耳を傾ける
  Aikaさん    

2011年5月「福島チャイルドサポート」を立ち上げて、東日本大震災で
被災した現地を訪れ、コンサートや慰問を行い、収益金を復興活動に寄付
を続けている。今回の収益金の一部も寄付されるとの事


フルーティストの愛娘さん。阪神淡路大震災の年に生まれて、19歳に
なられるということだ。フルートの音色が教会に心地よく響いていた


Aikaさんの美しい声とピアノとフルートの伴奏、宗教曲有り、国家有り
童謡有りの1時間半はあっという間に終了。万感の拍手に挨拶する
Aikaさん



感極まって、田中会長の目にも
涙が・・・

来場者に謝辞を述べる田中会長。しっかりと平塚倫理法人会の活動も
PRされて、大成功に終わった記念コンサートでした。


教会の夜景です。ハロウインが終了するとこの教会もクリスマスのイルミネーションで
装飾が施され、新年へと向かっていく。足元は悪かったが、秋の夜長に絶好の
癒しのコンサートでした。撮影に忙しく、情報が詳細に入手できませんでしたので
この程度しか表現できませんでした。お許しください。

2013年10月23日水曜日

自分を振り返って  有限会社イヌヰ熊澤商店 代表取締役 熊澤 賢蔵 氏


 さて、今朝のMS、地元のスーパーイヌヰ熊澤商店の代表熊澤賢蔵さんのお話。テーマは「自分を振り返って」というもので、十二分に話の筋書きを練った上でのお話で、非常に共感を持って聴かせていただきました。話はいわゆる三部から成り;

  1.シスの暗黒卿
  2.雨乞い師のはなし
  3.校長を換えた高等学校PTA会長

 という流れ。先ず、自分自身をジョ-ジ・ルーカスの「スター・ウオーズ」に出てくるシスの暗黒卿に例えて、「良心に屈せず、己の欲望を貫徹する」ポリシーで店を開業後、自分の意に添わないモノを全否定して店を経営したが、幾らテナントや人を変えても好転しない。ある時昔世話になったお手伝いさんが遊びに来ていて、曰く「昔は良い子だったのに、なんでこんな男になったの?」と。その時、自分の深層心理に巣食っていた不安・恐怖・寂しさ等が自分自身の行動の根にあることに気付き、後悔と反省そして自分自身を変えるに至った。幼い頃からお手伝いさんが居て、自分はやってもらって当然の世界しか体験してこなかった。従って従業員もやって当然の考え方があり、これでは人はついてこないと気が付く。これにより、今や、店全体に活気が戻り、順調な発展を遂げ、小型店でありながらも地元の人に愛されてなくてはならない店になった。これが倫理で言う「社長が変われば会社が変わる」という実証例ですと。

 そしてユングの書いた雨乞い師の文章の下り「ここの人たちは秩序から外れていて、天の命じる通りにはなっていなかった」という一節があるが、この言葉に引っかかるものがあり、自社に「秩序」というものがあるのかという反省の根拠になったとか。

 三男の不登校は知らないうちに自分たち夫婦が掛けていたプレッシャーに耐えられなかった子供からの信号であった。すべからく子供が悪いのではなく大人や親が悪いのである。そして、
PTAの会長を引き受けて、校長の「この学校は600人の生徒が遅刻して来ます」の言葉に驚き、翌朝から校門の前に立って、生徒指導を始めた話。学期が変わって新しい校長と不登校の対策を共同で進めたところ、100人ほどに減った。90%は校長にやる気があるかないかで決まり、後の10%は同志(先生方)が居るかいないかで決まる。これは企業経営にも通じることで、人心の鉄則でもある。変わるか変わらないかは当人の「本気度」の高さである。そこから生まれてくるのは「先生と生徒の信頼関係、社長と幹部、そして経営者と従業員との信頼関係」でもある。これは店に振り返ってみれは「お客さまを如何に満足させる」か、お客様のニーズを掴み納得させられるいかという「小売の原点」に通じる話しでもあるとお話されました。

 最後に5000万円の借金を残して亡くなった親父とその残した言葉「人との和を図り、共に生きることに人生の喜びがある」という言葉がトラウマになり、父親の生きざまを否定することから始まった人生だったが、今思えば、それが今、自分も辿るべき道であると想えてきたと結ばれた。同じ時代を激しく生きてこられた人の話として、誠に共感、同意できる人生訓でもあり、経営の要諦でもありました。お礼申し上げます。


 今夏、普及活動の為訪れた
イヌヰ熊沢商店で、代表の熊澤社長に
会い、この日の講話となりましたと
紹介する朝倉会長

昔なじみの一人であると紹介され、
茅ヶ崎の地域で頑張っている商店仲間と
して、お互いが信頼関係にあると、紹介
された岩澤相談役










最後に会場のホテルサンライフガーデンのハロウインのデコレーションをお見せ
致します。これはチャイニーズレストラン棟にあるものです。



2013年10月20日日曜日

尊巳及人哲学の背景を語る  神奈川県倫理法人会レクレーション副委員長 太田憲秀


今週は台風の来襲で水曜日の当会永島前事務長の講話が流れましたので、広報担当の筆者が行ったお隣の藤沢市倫理法人会での講話を簡単にご紹介したいと思います。テーマは「尊巳及人」、この行動哲学へ至った経緯と言うか「根」の部分を自分の半生を振り返って探ってみることにしました。これが、倫理法人会でお話をする最初の機会でしたので、何を話すか迷った上の選択でした。倫理法人会へ入会してから、これといった成果も、神がかり的な出来事にも遭遇しておりませんので、倫理法人会で話すのは?と思っておりましたが、「ゴルフとカメラとブログ・ライターの叔父さん」のイメージが定着(笑)した今、少しそのイメージの定着も如何なものかと思っておりましたので、この際、違う横顔を知っていただく機会になるかなと思い長谷川会長のお申し出をお引き受けすることに致しました。


 これが講話のレジメという類のものですが、この背後には当然沢山の話を用意致しましたが、なれないせいか全部をカバーすることは出来ませんでした。筆者が今、倫理で言う「尊巳及人」的な行動・活動を自然体で出来る背景になっているのは親父の生き様だったと思っております。親父30歳の時、長男として生まれましたが、丁度終戦の年、空襲で焼け出され、母の在所であった愛知県中島郡平和村で育ち、三菱の飛行機製造工場で経理をやっていたため、兵役を免れた親父は自らが習得していた書道や骨接ぎ、そして考案した製造機械で棕櫚の箒や左官屋さんの使う刷毛を作っては名古屋の問屋へ納品しておりました。母の在所は跡取りが病死したので、農業をしつつ育ててもらいました。当然貧しかったですが、ひもじい思いはしませんでした。回りが農家で習字や骨接ぎの代金は農作物や毛織物でした。それは、家計を随分助けていたようです。こうやって、人が集まってくる人徳があったようです。生涯で一度張り倒されたことがありましたが、それは私が母親に失礼な言葉を浴びせかけた時。それ以来、母への態度はガラッと変わったと思います。後年、私の失業中に山陰や三河、伊豆の温泉へ連れて行きましたが、今、それをやっておいて良かったと思っております。仏壇のない我が家ですが、両親と写した写真が仏壇代わりになって、その前に花を供えるようにしております。

 先生や友達に恵まれた小中高時代を終え、美大の入試に失敗し、浪人した時代にデッサンを積み、大學へ入学後も二年ほどはデッサンを続けました。それが今、写真や制作物の創作に役立っていると自分では思っております。

 大沢商会への入社は試験問題が問題集にでていたものとそっくりの偶然もあり、難なく合格。今から考えれば、これも何かの縁とも考えられますね。


 大沢ではゴルフ用品の営業とマーケティングを担当し、担当したベン・ホーガンのクラブやフットジョイのゴルフシューズで業界をリードしたことは自身の大沢時代のサクセスの一つで、これは「機を見るに敏」、倫理でいう「前髪をグッと掴む」ということでしょうか。「運命自招」とも言いますが、その時、何が必要か、何が自分にはあるのか、アドバンテージを極限にまで生かすことの大切さを今から思えば知らずの内に実践したということでしょう。19年間ゴルフ部門で仕事をしましたが、業界初の戦術はあまたありました。先取の気質は会社の文化であり、それの多くは、その後、競合他社の追従する処となり、業界の発展と自社の業績に結びつきました。

 成功ばかりでなく、サラリーマン人生のピンチもありました。あることがきっかけで、突然、職を解かれ、暗い一室に机と電話、タイプライターを一台与えられて、スポーツ衣類の滞留在庫を東南アジアの諸国へ輸出する仕事を命じられました。ワンマンジョブで亜流です。みんなは早晩会社を辞めるだろうと思っていましたが、自社クラブを日本製品の人気が高かった東南アジア諸国に代理店を作り、そこへの輸出をメインの仕事に変えて行きました。国内営業部で貿易の仕事が出来たというは筆者だけで、この時代は二年ほどでしたが、有意義な時代でした。この時覚えたタイプライターはその後のワープロ、パソコンの時代にすんなりと適応できる基にもなりました。ここにも「苦難福門」「運命自招」がありました。

 ところが当社は1984年に会社更生法を申請し、1200億円の負債で、戦後三番目の大型倒産となりました。直接的にはカメラの輸出のために投資した資金が回収できず、資金繰りに行き詰まったものですが、ここでの経営にまつわる話は学ぶべきことが沢山ありますが、次の機会に譲り、ここでは割愛します。


 海外商権(ブランド)の継続確保の目処が立ったとき、不本意ながらゴルフ用品部長から名古屋支店長に転出しましたが、ここでの仕事は「会社再建」でした。会社は若手の経営幹部を育てるため支店経営をやらせて適性を見ようとしたようです。会社再建は支店再建でもあり、ここでの行程は一つの組織の活性化、企業の活性化のサンプルとなると思います。社員の士気をどう上げるか、組織やスタッフをどう使うか、自分たちにが持つアドバンテージは何か、役に立つものを探し、それを最高に機能させる、この術を最高に発揮できた時代でした。社員5050億円の売上達成は他支店の「支店再建モデル」となり、全店表彰を受けました。地の利(名古屋人気質)、時の利(支店開設50周年、会社創業100周年)、人の利(先輩たちそして大沢ファンのお得意先等々の遺産)、これらをどうつなぎ合わせるかはマネージメントの面白さでありセンスでもあることはお分かりになっていただけるだろうと思います。「ものはこれを生かす人に集まる」、そして「運命自招」でもありました。ここにもやはり倫理の教えがありました。

 やがて本社へ戻り、経営幹部として会社で一番華の事業部であった第一営業本部を担当することになりました。名前を挙げれば皆様がご存知の海外ブランドばかり、それを社長と二人三脚でSHOP-in-SHOPや路面店展開を推し進めていきましたが、この事は会社の業態を変えることでもありました。セゾングループの支援を得ていた我々のドメインは卸業、百貨店やGMSの小売業界ではありません。そんな問題が社長と管財人の間で突如吹き上がり、社長はじめ経営幹部は退社することになりました。企業の存続へ、我々はこの方法しかないと思っておりましたが、それは今でも正しい選択だったと思っております。この話だけで、倫理で言う「易不易」のお話が出来るのではないかと思っております。



 話は本来のテーマと違うところへ行ってしまったかもしれませんが、親の後姿、人の恩、人の縁のありがたさと、そのことへの感謝の念が、今の自分自身を大切にし、自分が出来ることで世の中や社会に貢献していこうと言う生き様につながっていると結びました。倫理で得た人の輪は年々広がっています。何よりも自分より若い世代の方々と、又地域で活躍されている方々と知り合いになれ、地元のために尽くせることのありがたさを感じています。


 最後に筆者が心酔するゴルフの神様ベン・ホーガンのお話です。氏が72才頃にライセンス契約の問題で半年近く毎月テキサス州のベンホーガン社にサンプルを持って出かけましたが、最後にサンプルが承認されて契約する段になって「Mr. Ohta!もし君が僕の名前を汚すようなクラブを作ったら、僕は君を殺す」と云いました。完璧(PERFECTION)の代名詞で呼ばれたMr.HOGANは所属のシェディーオークスC.C.で毎日ボールを打ち、ホーガンクラブのパフォーマンスをテストしていました。下の写真には「There are no shortcuts in the quest for perfection」(完璧への道にいかなるショートカットも無い)と書かれています。もって肝に銘ずべしと思っております。有難うございました。



2013年10月9日水曜日

栞の中の「報徳仕法」 一般社団法人 倫理研究所 法人アドバイザー  二階 正 氏


 今朝の講師は神奈川県倫理法人会の前会長二階 正氏である。従って、倫友では知らない者が
居ない。何度か講話を耳にしたことがある方が多いと思うが、今日のお話は神奈川が産んだ幕末の偉人二宮尊徳翁の遺訓についてということで、倫理における「17ヶ条の万人幸福の栞」を編纂した創始者丸山敏雄の想いとの共通点をお話になった。

 そもそも今回の茅ヶ崎訪問は在任中にお世話になった人々へのお礼を目的に設定されたものであったが、せっかくなら講話を賜りたいと会長がお願いしたという経緯があった。お礼を述べられた後、御自身が入会されている「小田原報徳実践会」という二宮尊徳の遺訓を勉強する会で勉強されたことを披露して頂いたが、「積善の家には必ず余慶あり」「運命自招」「つもりが積り積もって罪になる」と云ったことばの奥義をテープに編集した「尊徳翁を演じる声優の声」を流しながら解説された。例えば;

  貧乏で明日喰うコメも何もなくなった家族が釜やお膳やお椀、箸などをどうせ
  明日死ぬのだから洗っても仕方ないと洗おうとせず放置するのは間違った
  行為である。今日まで食べてこれたという感謝の念は釜や御櫃や箸等々の
  モノにも向けられるべきで、たとえ死を迎えるとしてもきちっと洗って、今までの
  使命に感謝をささげることが他人として倫(道)と諭された。

  人間の手は自分に都合のいい具合に作られている。手の平は内に向けることで
  多くのことが出来るが、これjは外に向かって向けることもできる。自分の方に
  向けてばかりせず、他人にも向けることを忘れてはいけないという意味でもある。
  本当の富者は外にお金を役立てられる人である。

  欲しいものは買うな、必要なものだけを買いなさい。欲しくても時間を置けば
  欲しくなくなることことがあるものだ。

  種を蒔かなければ、実はならない。前もって、準備することはそういうことだ。

等々、記述が正確ではないかも知れませんが、意味は判って頂けるだろうと思います。
遥60年も前の田舎の校庭の片隅に立っていた「薪を背負い本を読みながら歩く幼い頃の二宮尊徳」の石像はこの偉人のほんの一部で、「道徳」の一環で置かれたものと知りつつも、その奥義までは想像できなかったことを悔やむ。それよりもなによりも、我々の幼少のころにはこんな道徳教育を両親に始まり、近所のおじいさん、おばあさん、おじさんがやってくれた。

 二階さん激務ご苦労様でした。体が本調子でないという事は聴いておりましたが、度重なる入退院を繰り返されても使命を全うされたことに敬意を表します。ご苦労様でした。 感謝




会場のホテルサンライフガーデンの
ロビーです。折からのシーズン祭事
ハローウインのデコレーションが
綺麗に飾られていました。










ここを訪れる若いカップルの琴線に
触れるよう、常時このようなデコレー
ションが施されています。













これが終わるといよいよクリスマス。
そんなことも視野に入って来た今年の
終盤となって来ました。