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2011年11月17日木曜日

追われる前に追う  首都圏方面方面長 伏木 久登 氏

今日の講師は法人局から普及事業部首都圏方面長の伏木久登氏を迎えて行われました。前段として月一回の会員スピーチということで、会員の村松弘昭氏が3月11日に体験された出来事をお話になりました。
 今日の伏木氏のお話は倫理活動の根幹の部分のお話であり、人の生き方の問題で、短い時間ながら非常にわかりやすく示唆に富んだお話に参加者一同、我が意を得たりという顔をされておりました。
 今年、我々がわが身で感じたことは先行きが見えない、何が明日起きるかわからないということでしたが、ここで必要なことは「決心」と「決断」という行為の必要性でした。決心は自分の中に「コレだ」という確信がなくてはならないということ、決断には今までやってきたことを断つという勇気が必要だということ。決心や決断には時として大きな「リスク」を伴うが、そのリスクを前向きにとらえる姿勢こそ人間が求められるもので、「苦難は幸福の門」とは、苦難を前向きに捉える、即ち良くなるなら進んで苦難を受けようと受け身でなく積極的に苦難に立ち向かっていく姿勢が打開の道へとつながって行くということ。会社の危機を招く原因も、事業そのものより、経営者が今の仕事に誇りを持って対処しているかどうか、現実を前向きに捉えてそれに対処できているかどうかがカギである。苦難、危機は必ず、どんな場合にもやってくるもので、追われて受けるか追っかけて行って受けるかの差は大きな結果の違いをもたらすことは世の成功者の足跡の中に残っていることからみても、また会員各位の経験の中に残っていることからして真実だろう。
 様々な局面で自分をどう活かすか、どう対処するかの重要なポイントは自分自身の心の持ち方であり、すべからく前向きに捉え対処していく姿勢であると結論付けられた。「小我」から「大我」へと我々の生き方を変えていく(成長する)ことが我々の社会生活も企業経営も家庭生活もいい方向へ変えていくのではないでしょうかと結ばれました。伏木先生ありがとうございました。

2011年11月10日木曜日

地方自治体の首長とは・・・・寒川町町長 木村 俊雄 氏

 ぐっと冷え込んで今秋一番の寒さがやってきた。家を出るときはさほど感じなかったが相模川の風はやはり冷たい。会場へ降り立った瞬間、冬の足音が聞こえてきた。
 さて、衝撃的な講話を聴いてもう一週間がやってきた。今日は新任の寒川町町長木村俊雄氏が講師ということで、会員の中には選挙で木村町長を担いで、一肌脱いだ会員もおられるようだ。現役二期目の現職を向うに回して圧倒的不利を囁かれた選挙戦であったが、蓋を開けてみると圧勝とのことで、その背後には木村氏が町の職員として長年、寒川町の為に尽力されてきた積み重ね、即ち実績と人望があったようだ。ただ、選挙はそれだけでも勝てないそうで、選挙参謀というプロの存在も大きかったとは一緒に氏を担いだ人の言葉だった。
 さて、生まれも育ちもそして人生も寒川町と共に歩んできた62歳。定年後、一旦町の職員から外れられて、却って町政の実態と云うものが良くわかり、そのことが郷土愛に火を点けたと話された。それだけに胸に秘めた想いがあるようで、今日はその一端を聴くことが出来た。
 7つの絆を公約として掲げ当選されたが、その内容は:
   1.安心して暮らせるまちづくり
   2.明日を担う子供たちの健やかな育成
   3.地域の絆づくり
   4.いきいきと暮らせるまちづくり
   5.活力のある産業の育成
   6.豊かな自然を守る
   7.徹底した行財政改革の推進
 というものであるが、国であれ、都であれ、市であれ、県であれ、今の時代に共通した課題である。幸いにして寒川町は人口47,600人ほどの町であるが地方交付税が支給されない全国でも数の少ない自治体だそうで、バランスのいい街づくりが既に過去から続いているとのこと。ただ、やはり人口の伸びは少なく、しっかりした企業からの税収にささえられてはいるが、税収の増加は容易ではなく、限られた予算の中で何を優先してやるか、何を見直すかが重要であると話された。
 新年度の予算の編成時期に来ているが重点は:
   1.教育
   2.安心安全な社会基盤の整備
の二つだと強調された。教育問題は深刻で、教師の在り方、キャリキュラムの在り方等々、将来の日本を担う子供たちへ倫理や道徳も織り込んプログラムを構築したいと述べられたが、根は家庭教育にあるのであって、親が変わらなければ、子は変わらないという側面もある。それほど環境は厳しい。
 安心安全な社会基盤の構築は先ず、自助の精神在りきであると強調された。行政が何をやってくれるかと待つばかりでなく、自分たちで何ができるか、できることはお互いに助け合ってやっていこうというコミュニティーづくり、即ち絆づくりだと語られた。その為には、町の職員が町に日常的に足を運び、町民とテーマについてお互いに相談するという姿勢が大事であって、その定期的な触れ合いの場を二か月に一度の割で「街づくり懇談会」という形で始めておられるそうだ。地域は地域で主体的に考え、それを町にぶつけてもらうこと。「役場の人間は役に立つ人間でなくてはならない」という意識改革を先頭に立って行っておられるということだ。
 寒川町は平塚市、藤沢市、茅ヶ崎市、海老名市等々の市に囲まれて、生活基準が都市並みになっている部分があり、どのレベルの行政サービスが適切かという見直しのテーマもあるようだ。一番、最後に一番難しい課題を話されたが、協働の町づくりの中で、ぜひ実現していただきたいものだ。
 新任の町長さんにエールを送ります。期待しております。頑張ってください。

2011年11月3日木曜日

苦難福門 自分を生きる

 今回は茅ヶ崎市と平塚市の合同イブニングセミナーということで水曜日の夕方6時から行われた。講師は茅ヶ崎市在住の福井砂夕里(さゆり)氏。講演を聞き終わって、大森会長が合同で企画された意味合いが素直に納得できた。それほど価値のある内容のあるお話で、何度も目頭が熱くなった。京都のお生まれらしく、京都の女性の強さとプライドがお話の背後に感じられて、今更ながら京女の強さ、凄さ、そしてその向こうにある(生まれてきたからには)人間としてのミッション(使命)とは何かを思い知らされた90分でした。
 キャリアはJALの国際線のCAを8年間され、子育てで退職、教師と云う過酷な職場で仕事一筋に打ち込み、すべてを犠牲にしてきた最中、悪性の腫瘍ががんになり、度重なる手術後に左腕切断と云う女性としてこれ以上ない不幸に見舞われた。その間の様々な葛藤が語られましたが、その間で、一番得たもので大きかったのが「人の絆」とお話になった。第一に「家族の絆」、次に「友人との絆」、そして「医師や看護婦・看護士との絆」さらには「教師と生徒の絆」等々。
 左腕の切断を最後に決断されたのは天窓を流れた星(22歳の時に母親を亡くした)として現れた母親が背中を押してくれた。自分のつらさは自分しか判らない、他人が肩代わりしてくれるわけではない。自分がすべて受け入れていかねばならないことなのだ。もしかして死ぬのではないかと想ったとき、人にとって人生にとって、人と人との絆というものをどこまで深めていけるか、人間関係を築いて行けるかが一番大切なことではないかと気付いたと述べられた。
 手術室の前で看護婦さんに「いいご家族ですね」と声を掛けられて、自分は子供たちや夫や父親や自分のことを心配してくれる人のためにも生きなくてはならないと思い、平常心で手術台にのぼることが出来たと述懐された。主治医と患者、看護婦・看護士と患者の信頼関係が築けたのもこの手術台に昇る直前だったということで、主治医が「体だけでなく心も診てくれた」という一節は奥深い真理を現した言葉として特に印象強かった。
 人間はプラスの力もマイナスの力も人に及ぼす存在であることは言うまでもないが、不治の病で平常心でない人たちの世界でこれが出てくるとどうなるのか、そこには普通の人では対応できない世界があるような気がする。そういう時こそ、ご自分の経験が人の役に立つということで、進んでその輪の中に入って活動されているということだ。
 手術後、なくなったはずの左腕が痛む「幻肢痛」という症状に悩まされた術後生活。その中で知った「看護士の患者の痛みを判ろうという心が患者の痛みを癒す」という言葉の重み。「人間が出すやさしさには強いやさしさもあるが弱いやさしさもある」など、正にその通りだろう。人間なのだから。
 今、病が癒えて退院後、これからの自分の生き方を問う長い時間が必要でした。その為には先ず、「できることをやる」で社会復帰を心がけられたそうだ。先ず、女性だからおしゃれをしようと先ずピアスの穴を開けに行きましたというくだりは思わず微笑んでしまった。読書、美術館巡り、映画館、子供のサッカーの試合見物、おしゃれ等々、失ったものを取り返す行動は自分自身に元気を与えてくれたと仰る。長期間の入院で立つこともできなかった体力も徐々に回復して、人の前にこうやって立てることは「幸せの証拠です」と仰る。
 自分の退院後、病院入院中の親友二人が相次いで他界したが、その代わりに自分が命を貰ったと思い、それを契機に自分のミッション探しを始め、今三つの仕事をやっておられるそうだ。

   1.北里病院での講演活動他
   2.NPO法人多文化共生教育ネットワーク コーディネーター
   3.公立中学校非常勤教諭

 がんには三つの要因があるそうで、
   1.食事
   2.運動
   3.人間関係・心の持ち方(ストレスの原因)
この中で3番目が一番重要な要因なのではないかと自分は体験上、そう感じると云われた。NOが云えない(旅客機のCA)自分、自分を大切にしなかった自分から正直な自分、人に甘えることを良しとする自分に変え、人間関係は自分がお付き合いできる人とお付き合いをするということにしておられるとのこと。気功を覚え、薬に頼らず熟睡でき、保温に努め体を冷やさないようにしているとアドバイスをされました。最後に、相田みつおの詩「雨の日は雨の中を、風の日は風の中を」を読まれて講演を終わられました。本当に生きてきた、生き抜いた人の想いの凄さに会場は万雷の拍手とため息でした。