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2011年10月27日木曜日

いのち燃やして



 会員スピーチが講話の前に行われました。今回は三富弘治(弘栄堂)さんが「三代目から四代目へ」というテーマで家業の生い立ち、経緯、そして自らの意志で家業を継ぐと決めて修行に出られたご子息の成長を観て喜んで四代目を継承させることが出来た喜び。更には倫理へ入会して今感じていること等々をお話になられました。夫婦の絆、家族の絆、地域の人たちとの絆の大切さを以て今の自分があると。

 今日のMSの講師は法人局の首都方面副方面長の高橋哲也氏。ご両親が倫理法人会の会員で、正に倫理の申し子ともいえる生い立ちを持っておられる方だ。
 先ず、毎週一回のMSにあなたはどういう気持ちで出てこられますか?との問いかけに始まり、スタンスは個人個人で色々あるかも知れないが、会員になったからには、朝早く起きて出かけてくるのだから、何かを得て帰ろうではありませんか。その感じたことを実際の日常生活の場で活かすこと、実践することが本当の倫理の学びというものであると結論付けられました。
 9月から始まる倫理法人会の新年度、今年度のテーマは「希望」である。希望はなくても生きては行けるが、どうせ生きるのなら「希望」を持って生きた方が、はるかに面白い人生を送ることができる。栞第14条「希望は心の太陽である」。希望は太陽と一緒で、人間の心になくてはならないものである。それを地で行った巨人が遠山正瑛さんで、大学教授を退官したのち、砂漠の緑化を目指して鳥取大学に入り、鳥取砂丘で中国のゴビ砂漠を緑化する研究をされ、国交回復後見事それを成し遂げた顛末をお話になった。77歳から始めた砂漠緑化プロジェクト、今では300万本のポプラが植えられ、その志は今に引き継がれ、倫理研究所も「地球倫理の森」として今から9年ほど前から、バックアップを行っているという。森田会員がこの派遣隊に参加された由。
 この砂漠緑化活動に関連して、倫理研究所の社員になられた坂本氏の生い立ちから、挫折と放蕩、そして派遣隊への参加、両親からの手紙、母親の手紙にあったたった一行の言葉「あなたが砂漠緑化隊に参加すると聞いて胸が熱くなりました」への衝撃とその後の行動。それは当人しか判らないものではあるが、その想いを察するのは・・・・・。生きていることへの感謝、親への感謝、自分を取り巻くものすべてに対する感謝、この感謝のこころこそものを成す上での最強の力・最強のエネルギーではないかと結ばれた。


                              

2011年10月13日木曜日

 10分の朝礼が職場を変える  平成学園原幼稚園 理事長・園長 石井 和則 氏

今日の講師は学校法人平成学園原幼稚園理事長で園長の石井和則氏、大和市倫理法人会の会長でもある。少年サッカーの指導をされておられるということで、冒頭いきなり昨夜のW杯アジア第三次予選のタジキスタン戦の話から始まった。
 さすがに少年期から太陽の下でサッカーをされてきただけにしっかり太陽の光が肌にしみ込んで、ご覧のように色黒で、精悍なたたずまいを見せられている。これだけでは幼稚園の園長と云うイメージは湧いてこないだろう。そんなスポーツマンタイプの若い園長さんである。
 子供のころの夢はサッカー選手、紆余曲折を経て、教職を取り、懇願される形で就職したのが家業の現在の原幼稚園。モチベーションの上がらない中、倫理との出会いをお話になったが、これは経営者の息子が普通直面するよくあるストーリーである。出会った「転機」を転機として捉えられるセンスがあるかどうかという問題で、それを若くして捉えられたというところにそれまでの人生をしっかりと生きてこられたという重みがあるのではないだろうか。
 その転機とは「後継者の会」で出会った大阪府堺市の晴美台幼稚園の松井直輝園長だったということだが、この方も26歳で園長だった母親の死により園長を引き継がれたという経歴の持ち主で、
あった。どうやらこの方に経営的にもマーケティング的にも心酔されているようで、そのことが二つの園のホームページを見せていただくとよく判る。それ程インパクトの強い出会いであったことがよくわかる(この辺りは推測で書いておりますので、間違ったお許し願います)。
 ここで行われていたのが、倫理の「活力朝礼」。自社でも朝礼は行っていたが、その違いに強い衝撃を受け、「こんな先生方に指導されたら子供たちはどんなに喜ぶだろう」と思われたということである。早速、翌朝、堺の倫理法人会MSに連れて行ってもらったのが倫理法人会との出会いであった、ということで、それ以来、朝礼のやり方を全く変えられたそうだ。VTRで朝礼の様子を見せていただいたが、職員の方々が活き活きと朝礼に臨まれているのがよくわかりました。
 園では【しつけ教育】を意識的に重点を置いて指導されているということであるが、その根っ子は家庭教育の崩壊にあると云われたが、正にその実態が幼稚園で毎年毎年展開されていることだと思う。私ごとながら、5年ほど小学生のゴルフの指導に携わっているが、実にかわいくない子供たちが多いことに驚く。観ていると親が親にどうしつけられてきたかどうかの問題であるようだ。日本人は豊かさを得た代わりに一番大切なモノを失ってしまったというのが、戦後社会だ。
 「こんな先生に指導されたら子供たちは・・・・」の想いは親の想いかも知れない。ゆえに子供以上に親が原幼稚園の指導に感銘を受けて、自分まで変わろうとしているのではないだろうか?子供をどう指導したらいいのか判らないのが今の親なのだろうから。そういう意味で倫理には他人まで変えていく力がある。そんなお話でした。石井先生、頑張ってください。

 この写真は筆者が毎週、土日早朝の6時から指導している6歳(9月に誕生日を迎え)の幼稚園児とお母さんの写真である。特別プロにするしないという希望はないが、子供の教育として一生懸命取り組まれているお母さんの真摯な態度に感銘を受けて指導することになったが、実に礼儀正しくほとんど人前ではわがままを出さない子供だ。お母さんを見ているとお母さんのご両親の姿が見えてくる。そんな意味で、先達は後輩をきちっとしつけていく責任を感じる。

2011年10月7日金曜日

私はこうして勝ち組になる

今日の講師は株式会社大久保恒産の代表取締役の大久保和夫氏である。倫理法人会でも相模原市倫理法人会の会長はじめ、県法人会の要職を務められ、現在は青葉区倫理法人会の相談役をされている。
 事業は足場工事が主体で、200名ほどの従業員がおられて前述の事業のほか、鉄パイプ関連のビジネス、人材派遣業、そして喫茶店を経営されている。
 ご出身は新潟県の長岡市小国町ということで、今でいう寒村と云うことだった。それよりも父親が戦争で出征し、姉一人の兄弟で、父親の顔も知らず、母親の手一つで育てられ、貧困の極みの中で、幼少、少年期を過ごされたということだった。17年生まれだから筆者の三年ほど先輩なのだが、話された情景は自分の記憶には浮かんで来ない(戦災に焼け出され、田舎に疎開した)が、多分苦しいながらまだ自分は恵まれていた方だろうと想像する。
 17,18才ごろ、反抗期に経験した母親への反発と母親の悲しみ(お前が唯一の心の支えなのに、おまえにそんなことをされるなら死んだ方がいいと柱に寄りかかって泣き崩れる母親)を目の当たりにして、自分が何をしているのか気づく下りは我が事のような思いがして、在りし日の自分の姿が浮かび瞼が熱くなった。この年齢でそのことに気が付かれたのが「凄い」の一言だろう。最近、長野県上田市にある「無言館」という戦没画学生慰霊美術館に収められている大江正美さんという人が描いた「白い家」という絵を見る機会があったが、あの家(母親の実家らしい)、あのシーンが思わず目に浮かんできた。
 
 さて、本題なのだが、大久保さんは戦国武将の中でも豊臣秀吉の潮目を観る目を一番、参考にされてそれを経営に生かされたということだが、それは人の使い方の極意をそこに見たということのようだ。人は自分の価値を認められないと本気になって働かない。その価値を何で認めるかだが、大久保恒産は仕事が単純作業なので賃金(成果報酬)と云う最もシンプルな形で報いたから他社より抜きんでることが出来た。「人は何の為に働くか」という問題の掘り下げこそ、経営のかじ取りの元であったと語られた。
 最後に会社の成長には「経営計画」が必要で、それは主観的でいいからしっかりしたものを作れと語られたが、仕事の進め方から云えば当たり前のことであるが、これが出来ていない企業が多いのも事実だろう。失敗があり、反省があり、それを活かすという行為が課題を打破していく、そして出来るまでやるというのが目標であるという企業風土づくり、そして成果主義の報酬制度が売り上げ押し上げているようだ。そして、更に、自社にとって飛躍のためには急務は組織、すなわち人づくりだと語られて講話を終わられた。
 久しぶりに心を揺さぶられるような親子の情と経営の肝を聴かせていただきました。ありがとうございました。