go to home page

2015年2月18日水曜日

倫理法人会で学んだ大切なsこと   平塚市倫理法人会 専任幹事 向井 貴彦 氏 2015年2月18日


 今朝の講師はお隣平塚市倫理法人会の専任幹事向井貴彦氏でした。何時もにこやかな笑顔の下に隠された自分自身を倫友の前で、さらけ出していただきました。1981年3月生まれと云う事ですから33歳ということで、筆者の年齢の半分にも満たない。それでこの貫禄であるが、それは太っているからではなく、人生経験から得られたものだと判りました。

 同じ名古屋出身で、神奈川県に住むという共通点もあり、一生懸命聴かせて頂きましたが、父上が筆者よりも相当若いということにある種のショックを受けたことも事実ですが、話しを本題に戻すことにします。

【就職と挫折】
両親と祖父・祖母と一緒に住み、サラリーマン家庭に育ち、東海大学卒の両親に上手くはめられる形で、名古屋から神奈川へ上京。大学時代に自由を謳歌し、就職も中堅の製薬会社に。資格を取るために、睡眠時間も十分に撮れず、過労と睡眠不足で交通事故を起こし、営業ノルマの達成を目指し、車に乗れないので電車と自転車で得意先回り。それに加えて
資格試験をクリアーするために深夜まで勉強を
繰り返し、精神的にも肉体的にも疲労が溜まり、大きなミスがまた自分を追い込むという悪循環のサイクルにはまり、とうとう出先で倒れ、うつ病を宣告され、三日間の休暇を貰い名古屋へ帰省。心療内科へ通ったり薬を飲んだりして、三日間が三か月半に伸びたが、回復した。その裏には、父親が勤務先へ電話して長期休暇の手続きをやってくれたことや母親の優しさが心を癒してくれたと述べられた。「すぐに仕事に戻らなくていいよ、お前が好きなことをやれ」と云った父親の言葉に驚くと同時に、それに素直に従うことにしたそうである。

 お母さんの実家が東京にあったので、そこに居候をして手当たり次第にいろんな仕事を経験されたという。そうこうしている間に父親が名古屋から東京へ転勤し、自分は世田谷父親は小岩に住むことになった。

【父親の病気】

 東レパンパシフィックオープンテニスの出場
選手の一人シャラポア選手の警護を担当している時、夜父親が交通事故に遭う夢を見た。
メールにおびただしい数のメールが並び、これはもしかしたら・・・・という予感が的中。父親は
交通事故ではなく脳梗塞で広尾の病院に担ぎ込まれて、半身不随、言語障害を持つ身体になって仕舞われたという事だ。
 翌朝、名古屋からお母さんが駆けつけ、ベッドに横たわる父親を取り乱す様子も見せず、必死に看病する姿に驚く。この落着きは何処から来るのだろうか?母親も「凄い」が、母親にこういう態度を取らせる父親も「凄い」と両親の本当の姿を垣間見ることが出来て、今までの不幸をもう反省する機会となった。

【倫理と自分】
自分から心を開いて父親の言葉を聴こうとか、話そうという事はついぞなかったが、そのことに気付かせてくれたのは倫理の勉強であった。FM湘南の営業担当である自分が経営者の会である倫理法人会の会員になり専任幹事までさせていただいているが、キャリアも4年半、動機も会社の命令と云う事で、まったく不純であるが、倫理の勉強を一生懸命させて頂いている内に、今まで見えなかったこと気が付かなかったことに気が付きだした。単語しか言えない父親ともその表情から何を言いたいのかが判り始めた。第13条「反始慎終」(本を忘れず、末を乱さず」は倫理にしかない教えであり、この第13条に一番心を揺さぶられる。

 今日は2月18日。明日、19日は多磨霊園に眠る曾祖母の命日である。其の命日を迎えるに当たって、「家族」の話しをさせていただきましたと結ばれました。


【会員スピーチー石田忠勝副会長】

今日の石田副会長は非常に気合が入っておりました。
冒頭のこの笑顔がMSを明る有意義なものにしたようです。
感謝!

 会員スピーチは石田忠勝副会長がお話になりました。倫理経営講演会の実行委員長を務められるが、朝礼の意義を元気・笑顔・姿勢とまとめられた。

 また、車中へ危うく忘れ物をするところを見知らぬ女性に助けられたが、「有難う」ということばを返せなかったことを悔やんでいること。

 聖路加病院の日野原先生のフェースブックの話。いつまでも革新を求め、新しい発想と、考えでいくつになっても人生にチャレンジして行く意義。その本には「健康」が不可欠とお話になりました。

益々、存在感が大きくなってきた照井幹事
大変な「愛妻家」でもある。

 

2015年2月11日水曜日

中国ビジネスの取扱い説明書  神奈川県倫理法人会副幹事長 卯柳 貴重 氏 2015年2月11日



 今朝のモーニングセミナー、ここの所の寒さ冷たさが嘘のような暖かで、笑顔がトレードマークの卯柳 貴重 氏にはうってつけの天候になりました。役員朝礼からモーニングセミナー委員長らしく、形の意味を説いて頂いて、新しく加わった当会幹部に納得させるなど、大変な信頼感を残して茅ヶ崎市倫理法人会を後にされました。
 
 今回はテーマにある中国ビジネスの勘どころを色んな事例を引き合いに出されてお話になりましたが、結論としては「どうやったら成功を勝ち取ることが出来るのかというよりもどうしたら失敗をしないで済むか」という軸足の問題であるというお話でした。日本人と中国人は同じ人間でも歴史、文化、哲学が違う、その上ほほ100%が一民族の日本と、漢民族が90%その他55の民族があり、同じ字でも全く発音も違う、広大な国土で地域によって大切にするモノが違うという誠に複雑な社会環境にあって、ワンウエイのコミュニケーションには限界がある。はっきり言って、100伝えようとしてもせいぜい30しか伝わらないという現実を肯定し、日本でしか通じない言葉や言い回しを排除することから始めなくてはならないということでした。


 卯柳さんの会社株式会社グローバルシステムズは、コンピューターソフトの開発会社で、主な
取引先はNECということで、主にレジの管理
ソフトを下請けしているとのこと。そして車の
板金を行うソフトも主力商品ということだが、
もっぱら制作は上海を中心に現地工場で、
中国人の技術者によって作られているそうだ。
コンピューターソフトの世界では設計は日本、
制作は中国(その他インドや東南アジアの国々)というのが一般的な状況とのこと。




 14年前に中国に会社を設立し、工場内はほぼ日本語で通用するほど、実績を経てきているが、
中国大陸を三つに分けてその特性をいうならば、北はプライドとかメンツ、中(上海・杭州)は現実的かつ計算高い、さらに南(広州)に下ると、もうこれは金しかない特性だそうだ。
 中国には団体(チーム)の意識はなく、個がすべて、血族がすべてであるが、それは中国の歴史がそうさせている。有名な中国4000年の歴史というのは実は裏切りの歴史であり、人を信じないという文化の源である。富を築いても国が変わればすべて没収、ゼロであり、その歴史を見て今日に来ている。コンプライアンスもなければ、倫理のりの字もない。国の方針で、突然法令が変わり、しかもそれが何年も前に遡ってという事例は後を絶たない。日本で大事件として報道される抗日デモも作られたもので、地域の政治家の自己PRに過ぎない。デモ隊も一皮むけば「やらせ」であり、実態にそぐわないものである。

 中国ビジネスの要諦は日本の文化と中国文化の間にある「穴埋め」がポイントであり、それを理解し、受け入れることで、回っていく。曖昧な言葉、日本にしかない言葉、言い回しを使わないこと等、例を挙げれば数限りなくある。マニュアル造りも「相手は判っていない」という前提で造る必要がある。十分には記述できませんでしたが、フィーリングとして十分に判らせていただきました。

 いずれは上海の工場に倫理を導入したいという希望は持っておられるということで、今後の進展に目が離せません。楽しそうに、自分の実体験で得られたことをお話しいただき、倫理法人会での講話としても十分に意味のあるものでした。ご苦労様でした。


  今朝は会員スピーチが行われ、現在当会会員で湘南中央のNO.2である永島正行氏がお話になりました。家庭倫理の会は生涯開発局の傘下にあること。先般の局長を招いての100人モーニングセミナーは113名の参加で、賑わったこと。達成感が次のステップへ背中を押してくれるという感じを抱いて活動が出来ているとお話になりました。法人会も頑張らなくてはいけませんね。
 


2015年2月5日木曜日

予防医学について 山田 好男氏/歌と舞踊 春蝶 氏


 今日のモーニングセミナーの講師は当会会員で(株)山上工務店の会長山上喜孝氏。数年前に一度お話をモーニングセミナーで聴く機会がありましたが、歌謡曲の作詞家としての顔をお持ちで、作詞・作曲業界のお話をお聴きした記憶があります。建築業とは全く違う分野でのプロ生活を永年されていることに驚いたものです。

 今朝は、どんなお話だろうと会場へ向かいましたが、御二人のゲストスピーカーをお連れになっての登壇となりました。お一人は「予防医学」の権威として永年世界的に活動されてきた山田
好男氏。いわゆる病気にかからないためには何をしたらいいのかを指導されている専門家である。御自身も82歳と云う事だが、歳を感じさせない健康そのもの。

山上 喜孝(はるお)氏


本業の建築業にプラスして歌謡曲の
プロ作詞家としての顔をお持ちの
山上喜孝さん。作詞家名は山上はるお

「森羅万象、何に対しても愛を以って
接すると氏がひらめいてくるもの」と
云われる山上さん。20作近くがCD・
レコード化されている一流の作詞家。

健康管理士 山田 好男 氏

開口一番、あなたの身体からは「赤・黄・青」の信号が出ている。その信号に気付き、
大切にする必要がありますと述べられました。
特に強調されたことは「体温」。体温によって人間は生かされているのであって、上は44°下は33°以下になると生命が途絶えるという。人間の平常の体温は36.5°から37°以下であるが、これが下がると免疫力がなくなって病気にかかりやすいし、病気になっても治りにくい。豚肉が身体を温める効果があるというのは豚そのものの体温が37.5°と高いからである。癌細胞は人間の体温が1°下がると活発化し、44°いじょうになると死滅する。体温の低下はエネルギーの生産活動の低下であり、それは病気、死に繋がる。従って、体調の悪い時に普段幾ら好物でもアイスクリーム等を食べるのは邪道の一つである。


 もう一人のゲストスピーカーは舞踊家(岩井流)で、演歌歌手の春蝶(しゅんちょう)さん。
ご覧のように、踊りと歌を披露して頂きました。春蝶さん、もともとは舞踊家としてのキャリアと実績の方が多い方であるが、最近は演歌歌手として芸域を広めておられる。会場で、「おてもやん」と「かっぽれ」を踊られたが、さすがに見事なもので、踊りに詳しい人からも称賛の言葉が聴かれました。山上はるお 作詞の「恋慕酒(しのびざけ)と「流恋川(はぐれがわ)」の二曲を唄われたが、愉しく聴かせて頂きました。 有難うございました。

2015年1月28日水曜日

職業奉仕とは   講師 山口 利通 氏 茅ヶ崎市商工会議所会頭 当会会員


 一年ぶりの講話となった茅ヶ崎市商工会議所会頭の山口利通氏。同氏は当会の会員でもあります。あの時は、丁度茅ヶ崎市商工会議所がホノルル商工会議所と提携し、茅ヶ崎市もホノルル市と姉妹都市の提携を結ばれた話をされた記憶がある。今年は御母堂が100歳を迎えられ、ひ孫も誕生ということで、おめでた続きに加え、自分も古希を9月に迎えることになる。自営の(株)湘南山鉄の歴史の一部をまとめたアルバムを二冊、会員の席に回しながら、茅ヶ崎市の動向を冒頭でお話になった。

【茅ヶ崎の動向】


2020年東京オリンピックに向かって、茅ヶ崎周辺はハード面で大きく変貌を遂げる見込みである。その要因は相模縦貫道の全面開通(2016年度)にある。今まで3時間かかっていた距離が一挙に20分に短縮される。その結果生まれるだろう経済効果には期待と不安の両方がある。終点となる柳島の海岸には「道の駅」構想が練られている。地産地消のシンボルともいえるこの施設には、周辺にスポーツ公園や、新しい街並み、商業施設などが連携して一大ビジネスゾーンと成る筈である。私案であるが海岸であり、海産物をベースにしたお店の集積があるので、さらに発展させて「FISHERMAN’s COAST」と云ったものはどうだろうかと考えている。更に寒川町と茅ヶ崎をジョイントしている萩園地区の再開発も計画されて、地域が大きく活性化される期待がある。

【ロータリークラブについて】

ロータリークラブの会員さんならお分かりのようにという前置きで、以前は「金持ち連中の昼食会」と揶揄されていたこの会も目的は;
     ①クラブの為に
     ②仕事の為に
     ③社会の為に
     ④世界の為に
という行動指針がある。

【米山(旧姓和田)梅吉】


日本のロータリークラブの創設者である米山梅吉について、その時代的背景と、向学心、向上心、そして歩んだ道についてお話になった。東洋英和という青山学院の前身で英語を学び、単身渡米し、8年後に日本へ帰国、帰国後「時事新報」なる新聞社で働くも給料が安く勝海舟の口利きで要人の通役に、そして明治の元勲の一人井上馨が当時、三井銀行グループとじっこんの仲にあり、其の口利きで三井銀行へ入行。やがて三井信託銀行の創設者となる。
 歌人の佐々木信綱を面倒見たことで知られるが、日本を離れるにあたって佐々木の1年分の学費を全額立て替えて、渡米したことは有名で、このころからすでに苦学生に対し学費を支援するという話しが沢山伝わっているそうだ。また、富士山測候所の維持管理費を支援したり、レーダードームが建設された時はロータリークラブから寄付金を拠出している。この物語はNHKのテレビ「PROJECT X」で放映されたそうだ。米山さんは国民保険の創設も行った人として知られている。


 大正6年テキサス州ダラスで ロータリークラブと出会い、大いに感銘を受けて帰国。大正9年東京ロータリークラブを創設。没後(1963年没)米山奨学基金なるものが生まれた。
それに関連して、戦前後進国の苦学生に対し、奨学金を出し、日本で教育を受けさせることを推進し、今でもその時に恩恵を受けた東南アジアの人たちが多数おり、日本に対する好印象のベースとなっているとのこと。

ロータリークラブでは年に一回「インターシティーミーティング」なるものが行なわれるが、日本と
台湾を結んで、台湾の米山奨学生と湘南地区のロータリアンとのスカイプによるディスカッションを企画したことがあったとのこと。これは画像と音声とが無料でインターネットを通して交信できるというサービスであるが、前日のテスト段階では散々な状況であったシステムの不具合が、当日は嘘のように良好になり、見事相互交流・交信という目的が果たせたそうである。自分(山口氏)は人一倍霊感が強い方なので、当日朝、寒川神社の参集殿に漂っていた霊気がことのほか強く感じられたそうであるが、それこそ米山梅吉翁の徳積みが奇跡をもたらしたのではないだろうかと思っていますと述べられた。

【職業奉仕について】

企業人としての在るべき姿を自分は江戸時代(特に七代将軍吉宗の時代)の江戸商人に観ていますと切り出された。江戸時代は江戸に100万人を超す人口が居たと云われている。そこの主役は「士・農・工・商」の士即ち武士ではなく、農や工はおらず、商人が主役であった。商人が江戸文化を支え、経済を支え、「共生の精神」が生まれ、育って行った。それは「江戸仕草」と呼ばれる。日常生活の常識でありルール、言葉を変えれば相手を思いやる気持ち即ち「思いやり」である。気配りは職業奉仕の一つであると考えている。自分だけが良ければよいという発想ではなく、「働く」という言葉の持つ意味には4つある;

     ①forライス(米、即ち食わんが為)ワーク
     ②forライク(自分の仕事を好きになって一生懸命働く)ワーク
     ③forライフ(生涯の仕事ととして天職と考える)ワーク
     ④forライト(Light即ち周りに光を与える)ワーク

これが出来るか出来ないかは人間としての成長が本にある。最澄の「一隅を照らす」や米山梅吉の「新隠居論」にはそれが映し出されている。

「人が世に出て所を得るのは偶然でない。機会というものがある。その機会を捉えなければ実力が発揮出来ない。考えてみると機会が3通りあるようである。第一は、千載一遇の機会だ。革命の如きがそれで日本では王政維新の時に来た。所謂風雲に際会した人達は生き残った限り皆豪くなった。何かの関係でその場に居合わせさえすれば大人物になれた。こういうのは、千載一遇だ。今日の人が望むべくもない。第二は、人一代に必ず来る機会だ。私達の生活は、毎日同じようでいて同じではない。一生の幸不幸の分岐点ともなる機会が来る。この好機会を捉えることが大切だ。第三は、日常身辺に群がってくる千種万様の小機会である。これはうっかりしていて見遁し易い。しかし、一個人の生活はチャンスの流れとも言える。どうぞいいチャンスを捉えるように。         
 明治も大正になり、維新の風雲に際して絶頂にあった所謂立身出世の成功率は年を追って急速度で低下している。就職難が来て益々世知辛い。然るに一般的には教育が普及して人間の粒が維新の頃より遥かに揃ってきている。機会が少なくなった上に有為の後進の数が増すばかりだから、老人株は考えなければならない。   
 隠居したら退屈するだろう。こういう料簡は間違っている。人生に退屈するようなものは生きている資格がない。日本では隠居というと全然世の中から隠れてしまうことを意味する。西洋の隠居は世の中と没交渉になるのではなくて、隠居として為すべき仕事を見つけ出す。日本人も隠居を楽隠居の意味に解せず、西洋に学ばなければならない。隠居した人は今まで職務に忙しくて出来なかったことが残っている。それは、人間として尽くすべき義務である。稼業以外、職掌以外に何か社会公衆の為に奉仕するところがなくては、まだ人間としての義務を充分に果たしたとは言えない。        
 西洋人の隠居後に為す仕事はこの意味から社会の為に尽くすことである。これを人間報恩の為と言うも亦可なりであろう。」米山梅吉 「新隠居論」  

     
【坂村臣民の詩】

 最後に「念ずれば花開く」で有名な詩人坂村真民の詩を聴講者の皆様にお渡しになりました。



【会員スピーチ】大森 康子 さん


今朝の会員スピーチは大森 猛相談役の奥様康子さん。バイクで伊勢神宮に向かう旅すがら遭遇した二度の事故について、生々しい体験を話されましたが、一方で昨年買われた仏壇に毎朝登校前に手を合わせてから行くようになった孫娘の本(祖先)を大切にする心が、もしかしたら私たちを守ってくれたのかも知れませんと、「反始慎終」をお話になりました。感謝




 




2015年1月23日金曜日

1000回記念モーニングセミナー 「終始一貫は成功の道行」 倫理研究所 名誉研究員 松丸 靖 氏

 新年を迎えて、21日(水)、今朝は当会の第1,000回目のモーニングセミナー
が開催される。横浜中央倫理法人会からも是非参加したいとお二人の幹部(萩野さん・
高橋美緒さん)が手を挙げていただいたので、今朝は富岡へ寄り、次に栗木に寄り、何時も通り、朝比奈峠を越えて湘南海岸をひた走り、生憎天候は今一つで、出足が心配されたが、その心配は全くの予想外れ、会場へ入るといつもと違った活気が溢れていました。


 今朝の講話者は1000回を記念して、当地にとりわけ縁の深い倫理研究所の名誉研究員という称号を受けられている松丸 靖先生。先生をお呼びしたのはこの湘南の地にある単会の会員さんにとって特別な存在であるからで、その「特別」はこの後、ご説明させていただきます。


 松丸先生のマナーは「きちっとしたレジメを作成する」ということだそうだが、今朝もわかりやすく纏められた講話の要旨は話を聞いた後に読んでも色あせないばかりか、より一層深い理解の領域にいざなう力を秘めているようだ。

満杯の会場その1

満杯の会場その2


1.歩み来し道

  50年前、ご自身が25歳の時、尼崎から平塚の八幡工業団地にあった関西ペイントの中央研究所の研究員として転勤して来られた。塗料会社であるからケミカルが専門であり、その時まで倫理という意味はともかく倫理という言葉の存在すら知らない化学バカでしたと話されました。倫理との遭遇は、取引先の千葉市川市にある会社の社長から送られてきた【新世】(雑誌)だったとのこと。そこにはいわゆる「素晴らしい教え」が
 書かれていた。それを毎月送ってもらうように頼み、5年間それを勉強されたが、これは実行の伴わない知識だけの勉強であって、実践が伴わないので、何も身に付いていないことに愕然とし、昭和44年(1972)11月27日の夜、妻に向かって、「早起きして、本気になって倫理の勉強をする」と宣言した。妻はそれを聞いて、「何年続きますかね?」と冷ややかな目を送ってきた。それに対して、自分は「始めた以上は絶対に止めない」と返したと仰った。これが、倫理との出会いに関する一連の流れである。成功する絶対条件に今日のテーマである「終始一貫やってやってやり抜く」という言葉があるが、当時は未だその言葉を知りませんでしたと述べられた。



2.成功者と失敗者の違い
  
 純粋倫理とは大自然の法則・宇宙の摂理から生まれた人の生き方の筋道であり、人・物・事象に対する人の心の在り方である。
  ある時、倫理法人会の会員で若い経営者の一人に「倫理・家庭・会社」の関係を聞いてみたところ、その方の答えは「倫理は倫理、家庭は家庭、会社は会社」という答えが返ってきた。実はそうではなくて、私はこれは「三位一体」であると思っています。



 理想はこの三つを一体にすることであるが、少なくとも重なり合う部分を造り、それを大きくしていくという動きが望まれる。天下国家は一日では成立しないが、先ず身を修める、次に家を整え、その上で国が治まり、社会、世の中を平和にしていくという順序がある。これが、中国の古典「大学」に示されている「修身斉家治国平天下」という言葉の意味である。

 会社を今以上に発展させたいと思うならば、先ずは身近なことから取り組むべきである。奇しくも「今週の倫理」908号には先を見るにはまず足元を見よと、すぐにできる小さなことから始めること、今を生きることの重要性が書かれている。「万人幸福の栞」第3条には「終始一貫は成功の秘訣」とあるが、自分自身やってみてその通りだと思っている。さらに13条の「反始慎終」には「・・・・これができないのは皆本を忘れているからである」と書かれている。本とは初心であり、親であり祖先であり、人から受けた有形無形の恩である。恩とは「恵みである」と感じる心、有難うございましたと感謝の気持ちであり、その認識のレヴェルが人の器の大小である。恩知らずは世に云う立派な人になったためしがない。

3.成功への道行


 成功への道行と云うテーマであるが、自分は次の4つが大事だと思っています。先ず、

 1.決心は区部の成就
   接心した物事に、大小とか易しい難しいというようなものは無く、
   肚が決まっているかどうかであると丸山敏雄創始者は述べられている。

 2.初心忘れるべからず
   創業の時の意気込みやお世話になった人たちへの恩を忘れるから成功しない。
   小さな成功に奢らず、常に謙虚さを持って世の中に臨むことが大切

 3.小さなことの積み重ね 一日一回繰り返す
   先ばかり視ずに、足元を今を先ず認識することが大切で、どんな小さい事でも
   コツコツと積み上げて行けば、それは楽でもあり効果的である。二宮尊徳翁の
   言葉を借りれば[積小為大」という事である。ゴルフのスイングの練習などは
   正にこの世界であると、私ごとながら、友人各位にお贈りしたい。

 4.終始一貫 これが成功の秘訣
   成功の方程式は次のようになっている

   縁(えにし) ⇒得る ⇒活かす ⇒続ける(その間、所信・恩・生命源を
                        忘れない)

最後に心すべき事柄として以下の5項目が書かれておりました。

 1.決め事を守れる人間になること
 2.創業者、親祖先を大切にすること
 3.夫婦仲良くすること
 4.顧客を大切にすること
 5.我が仕事を天職と喜働に徹すること

茅ヶ崎倫理法人会の将来の為に「当たり前のことを当たり前にに自分自身がやり、次の10年、20年へと歩み続けて行って欲しい」そして「よろしくお願いします」と結ばれました。 感謝


 主催者として来場した倫友の皆様に茅ヶ崎市の倫理法人会の生い立ちを話しする朝倉会長。17年前に入会し、朝礼を取り入れたことまではよかったが、それが契機で、創業以来のスタッフが次々と三名辞めて行った話。倫理指導を受けた松丸先生との思い出が多く、人一倍今回の記念講演にも思い入れが強かったようです。

茅ヶ崎の現相談役大森猛さん。当会の顔であることは
誰の目にも明らか。この方の影響力は大きい。

平成元年に平塚市準倫理法人会として発足以来の会員である
森田 勇 氏。最近は耳が遠くなって、と云って会場へ来られる
事も少なくなったが、今朝は元気な姿を拝見出来た。

当会の新しい役員として会の円滑な運営に尽力いただいている
照井 栄喜 さん。やはりこの方を観ていると「倫理へ入る人は
入るべくして入る」と改めて感じますね。


準会員の河野さん。応援団でもある。期間レンタル移籍を
樋口会長にお願いしましたが、拒否されました。


逗子葉山の竹田会長

横浜市中央の萩野・高橋幹事

湘南副地区長の関さん。松丸先生を迎えに行くはずが
寝坊して行けなくなってご迷惑を掛けたことがありましたと
思い出話をされました

皆さんの感想を聴かれている松丸先生の表情が
印象的ですが、横の御二人の笑顔も最高

皆さんにお礼を言われる松丸 靖 名誉研究員
            
横浜中央の村瀬幹事。今年は広報委員会副委員長
で活躍中
横浜中央の盟主田村さん。県の研修委員長として
倫理の普及に尽力されている
大森夫人は欠かせぬ幹事さん、何時もテーブルの
花を準備して頂いております。
横浜市の樋口会長。ひときわ輝いております



  全員で、写真を撮りました。参加者は51名でしたが、写真に入られたのはこの人数です。
  皆様 有難うございました。

 








2015年1月17日土曜日

1000回記念モーニングセミナーのご案内 


 茅ヶ崎市倫理法人会のモーニングセミナーは今週第1000回を迎えます。そして今年は創立20周年の年でもあります。この記念すべき年に、茅ヶ崎市倫理法人会は更なる飛躍の第一歩を踏み出したいと考えています。そして、記念すべき1000回目の講話者に倫理研究所の名誉研究員松丸 靖 氏をお招きいたします。企業経営者のあなたにとって、成功は一つのゴール。その軌道を外さないために倫理経営を説く松丸先生のお話はきっとお役にたつはず。そんな想いで当会は1000回モーニングセミナーを運営しております。地域の経営者の皆様方のご参加をお待ちしております。

2015年1月14日水曜日

万人おもてなしの栞 ~栞の行間に書かれているもの~ 豊澤 早一妃 氏 CA株式会社 代表取締役


 午後からは天気も下り坂と云う予報であるが、朝の内はここ数日続いた快晴の天気。窓からは見事な冠雪を戴いた富士山が眺められる。今朝も湘南は快晴です。
 
 今日の講師はここの所、各地で引っ張りだこのCA株式会社の代表豊澤早一妃(さなえ)さん。CAというのはキャビンアテンダント、いわゆる昔の呼称で言えばスチャーデス、即ちスッチーですと自己紹介。23年間日航で外国船のCAをやり、5年前に退職されたと語られた。ご記憶の方も多いと思うが、日航のジャンボ機がお盆の満員のお客様を乗せて御巣鷹山に墜落した年の入社。そして勤務を終えたのが、日航の会社更生法の申請受理の年である。


今日は当会の999回目のモーニング
セミナーに引っ掛けて、「万人幸福の国」
行き999便と銘打って豊澤CAの
機内アナウンスで始まった講話であるが、
結論を云えば他人と云う存在(Presence)を受け止めて、人が感じている
ことをイメージして提供(Present)
していく、即ち「以って為す」いわゆる
「おもてなし」の極意をお話になったと
感じました。Presentは存在する
という意味もあるし、今と云う意味もある。
今をしっかり生きて、人から感じたことを
創造性豊かにお返しして行くこと、即ち、それが「おもてなし」である。自分を「ふわっとした」
存在と表現されたが、倫理で言う「素直」という状態のことだろう。

そもそもCAで入社しても英語に自信があったわけでなく、唯一、試験官の言葉を借りれば、「人との会話能力」だったと謙遜されたが、そこに今に至る原点があったようだ。
 そもそも業績評価の三点(上司とのコミュニケーション、お客様の評価、機内販売の
成果)の中で、自分が努力したのは真ん
中の「お客さまからいい評価を得る」という
ことだったが、「デモンストレーション」も
効果なく、苦労されたということであったが、
その中でお客さまから学ぶことは多々あったと。

機内で出会ったいわゆる一流の人物は自分にとって、それは「オアシス」でしたと表現されたが、そこに居るだけで存在感を出せる人出せてる人こそ一流のあかしであるが、それは何も
言葉を発しなくても伝わる何かを持っている人であると表現された。伝えるから伝わるへの
変化こそ本物の証ですと。厳しい目をもって事象を見ていても、出て来る言葉は「愛情」
がある。そんな体験を何度もしました。それが私の財産ですと。

人前で話すことは慣れていても、ここのところ
心境著しい話術

久しぶりに24社26名のご出席を
頂いて、大盛況でした
実は豊澤さん東京都の倫理法人会の怪異で
、それを辞めて鎌倉に転籍された。
転籍に当たって、お話になった一連の物語
は以前にもお聴きしたことがあるが、信じて
いた人から裏切られ、はたまた会を大きく
して名声を上げても、それは心にもない
言葉を並べて、人の機嫌を取り、倫理
ごっこをしていただけでしたと。ぽっかり空いた心の空洞は埋められず、結局、鎌倉市
倫理法人会の石渡会長の、心の内を
見透かしたような「笑顔が素敵だね!」
という言葉だったそうだ。「笑顔の連鎖で
日本を幸せに」を信条とする自分にとって、この「笑顔」という言葉に拘り、鎌倉市
倫理法人会の門と云うよりも石渡好行氏
の門をたたいたとの事。

「語らないで柔らかく包んでくれる」鎌倉の雰囲気がいっぺんに好きになり、「鎌倉市
倫理法人会へ転籍しました」
と、東京都の狛江市にすむ自分が鎌倉に
入会された経緯をお話になりました。







鎌倉の副会長白木さんが唱えられている
「和顔施」(わがんせ)という言葉を出して
講話をクロージングされた
有難うございました。インパクトがあり、茅ヶ崎へお呼びした
甲斐がありました


 今朝の会員スピーチは御馴染みの大森相談役。お得意の今日は何の日から入られました。
南極探検隊のタローとジローが見つかった日で「愛と希望と勇気の日」というのですと。
自分の好きな言葉に「苦難福門」と云う言葉がありますが、倫理のお蔭で二度までも大事に
至らなかった交通事故に遭いましたとお伊勢参りでの東名での事故を振り返られました。
そして結びは二宮尊徳翁の「80歳で希望を持つものは青年である」。いい笑顔ですね!

大森夫人の「おもてなし」茅ヶ崎名産のスイトピーと
水仙の花です。

以前、倫理経営講演会の講師でお招きした大園さん
今回は別件で来られましたが、MSに顔を見せて
戴きました。

コチラは杉並区東からお越しになった
レコード会社の社長



朝食会も大盛況。鎌倉から沢山の倫友に来て頂き、
大いに刺激を受けました。