go to home page

2015年1月28日水曜日

職業奉仕とは   講師 山口 利通 氏 茅ヶ崎市商工会議所会頭 当会会員


 一年ぶりの講話となった茅ヶ崎市商工会議所会頭の山口利通氏。同氏は当会の会員でもあります。あの時は、丁度茅ヶ崎市商工会議所がホノルル商工会議所と提携し、茅ヶ崎市もホノルル市と姉妹都市の提携を結ばれた話をされた記憶がある。今年は御母堂が100歳を迎えられ、ひ孫も誕生ということで、おめでた続きに加え、自分も古希を9月に迎えることになる。自営の(株)湘南山鉄の歴史の一部をまとめたアルバムを二冊、会員の席に回しながら、茅ヶ崎市の動向を冒頭でお話になった。

【茅ヶ崎の動向】


2020年東京オリンピックに向かって、茅ヶ崎周辺はハード面で大きく変貌を遂げる見込みである。その要因は相模縦貫道の全面開通(2016年度)にある。今まで3時間かかっていた距離が一挙に20分に短縮される。その結果生まれるだろう経済効果には期待と不安の両方がある。終点となる柳島の海岸には「道の駅」構想が練られている。地産地消のシンボルともいえるこの施設には、周辺にスポーツ公園や、新しい街並み、商業施設などが連携して一大ビジネスゾーンと成る筈である。私案であるが海岸であり、海産物をベースにしたお店の集積があるので、さらに発展させて「FISHERMAN’s COAST」と云ったものはどうだろうかと考えている。更に寒川町と茅ヶ崎をジョイントしている萩園地区の再開発も計画されて、地域が大きく活性化される期待がある。

【ロータリークラブについて】

ロータリークラブの会員さんならお分かりのようにという前置きで、以前は「金持ち連中の昼食会」と揶揄されていたこの会も目的は;
     ①クラブの為に
     ②仕事の為に
     ③社会の為に
     ④世界の為に
という行動指針がある。

【米山(旧姓和田)梅吉】


日本のロータリークラブの創設者である米山梅吉について、その時代的背景と、向学心、向上心、そして歩んだ道についてお話になった。東洋英和という青山学院の前身で英語を学び、単身渡米し、8年後に日本へ帰国、帰国後「時事新報」なる新聞社で働くも給料が安く勝海舟の口利きで要人の通役に、そして明治の元勲の一人井上馨が当時、三井銀行グループとじっこんの仲にあり、其の口利きで三井銀行へ入行。やがて三井信託銀行の創設者となる。
 歌人の佐々木信綱を面倒見たことで知られるが、日本を離れるにあたって佐々木の1年分の学費を全額立て替えて、渡米したことは有名で、このころからすでに苦学生に対し学費を支援するという話しが沢山伝わっているそうだ。また、富士山測候所の維持管理費を支援したり、レーダードームが建設された時はロータリークラブから寄付金を拠出している。この物語はNHKのテレビ「PROJECT X」で放映されたそうだ。米山さんは国民保険の創設も行った人として知られている。


 大正6年テキサス州ダラスで ロータリークラブと出会い、大いに感銘を受けて帰国。大正9年東京ロータリークラブを創設。没後(1963年没)米山奨学基金なるものが生まれた。
それに関連して、戦前後進国の苦学生に対し、奨学金を出し、日本で教育を受けさせることを推進し、今でもその時に恩恵を受けた東南アジアの人たちが多数おり、日本に対する好印象のベースとなっているとのこと。

ロータリークラブでは年に一回「インターシティーミーティング」なるものが行なわれるが、日本と
台湾を結んで、台湾の米山奨学生と湘南地区のロータリアンとのスカイプによるディスカッションを企画したことがあったとのこと。これは画像と音声とが無料でインターネットを通して交信できるというサービスであるが、前日のテスト段階では散々な状況であったシステムの不具合が、当日は嘘のように良好になり、見事相互交流・交信という目的が果たせたそうである。自分(山口氏)は人一倍霊感が強い方なので、当日朝、寒川神社の参集殿に漂っていた霊気がことのほか強く感じられたそうであるが、それこそ米山梅吉翁の徳積みが奇跡をもたらしたのではないだろうかと思っていますと述べられた。

【職業奉仕について】

企業人としての在るべき姿を自分は江戸時代(特に七代将軍吉宗の時代)の江戸商人に観ていますと切り出された。江戸時代は江戸に100万人を超す人口が居たと云われている。そこの主役は「士・農・工・商」の士即ち武士ではなく、農や工はおらず、商人が主役であった。商人が江戸文化を支え、経済を支え、「共生の精神」が生まれ、育って行った。それは「江戸仕草」と呼ばれる。日常生活の常識でありルール、言葉を変えれば相手を思いやる気持ち即ち「思いやり」である。気配りは職業奉仕の一つであると考えている。自分だけが良ければよいという発想ではなく、「働く」という言葉の持つ意味には4つある;

     ①forライス(米、即ち食わんが為)ワーク
     ②forライク(自分の仕事を好きになって一生懸命働く)ワーク
     ③forライフ(生涯の仕事ととして天職と考える)ワーク
     ④forライト(Light即ち周りに光を与える)ワーク

これが出来るか出来ないかは人間としての成長が本にある。最澄の「一隅を照らす」や米山梅吉の「新隠居論」にはそれが映し出されている。

「人が世に出て所を得るのは偶然でない。機会というものがある。その機会を捉えなければ実力が発揮出来ない。考えてみると機会が3通りあるようである。第一は、千載一遇の機会だ。革命の如きがそれで日本では王政維新の時に来た。所謂風雲に際会した人達は生き残った限り皆豪くなった。何かの関係でその場に居合わせさえすれば大人物になれた。こういうのは、千載一遇だ。今日の人が望むべくもない。第二は、人一代に必ず来る機会だ。私達の生活は、毎日同じようでいて同じではない。一生の幸不幸の分岐点ともなる機会が来る。この好機会を捉えることが大切だ。第三は、日常身辺に群がってくる千種万様の小機会である。これはうっかりしていて見遁し易い。しかし、一個人の生活はチャンスの流れとも言える。どうぞいいチャンスを捉えるように。         
 明治も大正になり、維新の風雲に際して絶頂にあった所謂立身出世の成功率は年を追って急速度で低下している。就職難が来て益々世知辛い。然るに一般的には教育が普及して人間の粒が維新の頃より遥かに揃ってきている。機会が少なくなった上に有為の後進の数が増すばかりだから、老人株は考えなければならない。   
 隠居したら退屈するだろう。こういう料簡は間違っている。人生に退屈するようなものは生きている資格がない。日本では隠居というと全然世の中から隠れてしまうことを意味する。西洋の隠居は世の中と没交渉になるのではなくて、隠居として為すべき仕事を見つけ出す。日本人も隠居を楽隠居の意味に解せず、西洋に学ばなければならない。隠居した人は今まで職務に忙しくて出来なかったことが残っている。それは、人間として尽くすべき義務である。稼業以外、職掌以外に何か社会公衆の為に奉仕するところがなくては、まだ人間としての義務を充分に果たしたとは言えない。        
 西洋人の隠居後に為す仕事はこの意味から社会の為に尽くすことである。これを人間報恩の為と言うも亦可なりであろう。」米山梅吉 「新隠居論」  

     
【坂村臣民の詩】

 最後に「念ずれば花開く」で有名な詩人坂村真民の詩を聴講者の皆様にお渡しになりました。



【会員スピーチ】大森 康子 さん


今朝の会員スピーチは大森 猛相談役の奥様康子さん。バイクで伊勢神宮に向かう旅すがら遭遇した二度の事故について、生々しい体験を話されましたが、一方で昨年買われた仏壇に毎朝登校前に手を合わせてから行くようになった孫娘の本(祖先)を大切にする心が、もしかしたら私たちを守ってくれたのかも知れませんと、「反始慎終」をお話になりました。感謝




 




1 件のコメント:

  1. 茅ヶ崎倫理法人会の皆様の投稿をお待ちしております。

    返信削除