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2014年2月20日木曜日

希望を力に  宮内 秀樹 氏 (一社)倫理研究所 首都圏方面担当特別研究員


 会社が経営危機に陥った時、母親が入会した家庭倫理の会が縁で倫理の勉強に入られた宮内さん、それは高校生で18歳の時。以来、34年間倫理と共に歩んでこられたが、倫理研究所への入所は48歳の時。28歳で起業し、ガス工事関係他の事業を順調に運営され、厚木地区の家庭倫理の会の重職に付かれていたが、何か物足らないモノを感じ、其の愚痴をある研究員に酒の席でぶつけたところ、そう思っているなら、それは「今ではないか」と云われ、それがきっかけで研究所のスタッフとして倫理活動を普及する立場になられたと、冒頭にお話になった。実業の世界を経験し、倫理研究所に入られるのはあまり多くは無く、殆どが事業経験のない若い年代が入所され、教育・訓練を受けて、研究員になられるケースの中で、稀な存在でもある。柔らかい表情と語り口は、そんなキャリアからも推察できるが、会員から信頼を受けられる所以でもあろう。今日は、講話の終了後、3名の方が「倫理指導」を受けられることになっている。
テーマは「希望を力に」ということで、幾つかの実体験を話されたが、元大関琴風(現在の尾車親方)の話しがあった。6年前44歳の時、地域に「元気」を呼び込もうと企画したイベントに、アントニオ猪木を呼ぼうとしたが、予算で合わず、代わりに呼べたのが尾車親方。
「なぜ日本人横綱が誕生しないのか」という質問に対し、昔と今と全く違う風景は、入門課程から母親が一緒に付いてやってきて、入門審査の場にも同席させろと言って来る。子供の可能性を親自らが摘み取ってしまうような所作が沢山見られるとのこと。子供にとって何が大切か判っていないし、親がかりが当たり前だと子供自身が思っている。一旗揚げようと、身体だけ、自分だけがそのことを出来る唯一の存在だと思ってやってくる昔、北海道や東北、そして九州の山奥から出てきた新弟子入門者が今、外国人にとって代わられているからだとの分析だったとのこと。一旗揚げようという「希望」が横綱への力だったというお話だったと。
 
 1.自分自身の尊さを自覚すること
 1.正しい苦難感を持つこと

 これは自論だが、家庭教育そのものの在り方である。「与えられることが当たり前」になった世の中であり、その中で育った母親が「なかったら自分で取に行け」とは教えられない。これが日本の現状だろう。終戦直後にはそれがあった。親の生活や子供の養育の姿の中に自然と受け継がれて行ったものが、今は希少になってしまった。
 
 妹さんを進行性の速い癌で亡くされたという話をされた。「お兄ちゃんの子供を見たい」という一念で余命三か月が、7か月持ちこたえ、甥の誕生日と併せるように8月10日に40歳で亡くなられたというくだりは、在りし日の我が両親の気持ちを想起させた。筆者も6歳下の妹が居たが、高校生で突然発症し、30歳前で旅立った。その間、自分が何をしてやれたかと思うと、誠に恥ずかしい限りである。今は二度とこういう不幸を起こさないように気を付けたいと改めて胸に誓った講話でもありました。
 
 「感恩」「感謝」「生成の恩」「愛育の恩」という言葉を最後に残されましたが、本を忘れず、後悔しないように生きようと改めて思った次第です。感謝

 冒頭で、当会の事務長長島幹夫(よしお)さんの会員スピーチが行われました。湘南の有名な倫理ファミリーの一員として、会の運営に全力投球して頂いております。ありがとうございます。

 下の写真は会場のホテルサンライフガーデンのロビーに飾られたお雛様と、茅ヶ崎の名物の一つ大森ご夫妻そして盟友の和田さんです。
大森相談役ご夫妻

和田さん(左端)と大森夫妻



2014年2月12日水曜日

わが社の発想転換   平塚市倫理法人会副会長 井出 隆夫氏


 今朝の当会の講師はお隣の平塚市倫理法人会の副会長井出隆夫さんである。茅ヶ崎は元々湘南倫理法人会が母体になり、そこから平塚と藤沢が派生して行ったという歴史を体験された入会歴25年のベテラン会員である。従って、今日のMSにもその時代の会員の面々がおられて、話す方としては、リラックスして話すことが出来ましたと云われておりましたが、それだけにもっと沢山の若い経営者やNO.2の皆さんに聴いていただきたかったと残念に思いました。

 冒頭で、業界の話し、世の中のマクロ潮流をお話になり、それが自分の夢である300年続く企業を実現するための目の置きどころであるとお話になりました。人口構造が年々、ピラミッド型が逆ピラミッド型になり、2030年以降は80歳が最多を占める状況に変わり、売り上げのボリュームが業界として年々落ちて来るのが目に見えている。その中で、現在55店=10億の直営を維持するこだけでなく、それを拡充・拡大していき、しっかりした経営基盤のもとで、300年企業を作っていく為に、様々な変革を行ってきたが、これからも変革無きところに成長なしの心構えで臨んでいると語られました。

 幾つかの発想の転換の具体例を述べられたが、そこには社会事情というモノを的確につかんだ施策であるが故に、消費者(お客様)に支持されて、店が成功して行くという正に時代対応業と云う商売のエッセンスがそこにある。
 例えば、深夜2時まで営業する美容院を開いたところ、子育て世代のママさんに支持されて繁盛している例。スタッフも案ずるより何とかで、自分の店を閉めてから勤めに来る職人さんたちが
結構いて、十分に対応できることが判ったと云う例。
 価格的にもワンプライスでなく1時間を4つに分けて15分1000円に考えてサービスの4分割による価格制(これを井出氏は時間生産性と呼んでいる)を設けているそうだ。これがQBハウスを筆頭にして、巷で評価されている1000円理容室のコンセプトに通じると云われた。
 恒例化で車が運転できなくなるなじみ客に送迎・予約制制度を投入したところ、来店率が飛躍的に上がり、売り上げの増加につながった例、
 年齢の変化と共にお客の懐具合が変わるし、NEEDSが変わることへの対応は「お客さまからもっと喜ばれるにはどうしたら良いのだろうか」というサービス業の原点に立ち返ることだとも。
お店にとって、「揺りかごから墓場まで=生涯顧客」は究極のテーマであり、地域を背景に営みを展開する理容・美容店にも必要なスタンスであると。

 昔は輝いていたが、今は見る影もない方々を多く見かけるが、それは時代に合わせて「変革」が出来なかった人であり、そこには往年の輝きは見られない。


 技術よりも先ず会社の考え方を理解してもらう事が第一ですと、自社の社是「お客様に美と若々しさと、健康と、元気をお届けする」というモノの考え方をスタッフに浸透させるとのこと。
これはお客様との接点に居る社員の人間としてのクオリティーが持てる技術と一緒になったとき、それは「感動」というお客さまからの反応が得られるとの考えからであろう。

 先週も横浜市中央で秋山利輝氏の徒弟制度で人を育てる考え方の実践をお聴きしたが、井出氏のお話にもそのセンスが色濃く出ていますね。理容は日本の伝統的な職人芸のひとつであり、文化でもある。後世にその遺産を残すために学校を作られ、後進の育成に励んでおられる一方で、業界の在り方についても尽力されている。郵便ポストの倍の数の床屋があるそうだが、これはもう零細企業の極地のようなもので、息子や娘に継がせようというような床屋は皆無になりつつあるが、それでも理容師になりたい美容師になりたいという子供たちは多いそうである。言い方を変えれば、まだかっこいいから理容しか美容師ぐらいには成れるだろうということかもしれないが。しかし、専門学校へ入って資格を取るには2年間で300万円程の費用が掛かるそうである。それを支出できる家庭はそんなに多くはないとのこと。従って、井出さんの學校は傘下の店で働きながら学校へ通えるという制度で学生を受け入れておられるとの事。ここにも時代対応というかビジネスライクなのか、したたかのビジネスセンスが見え隠れしていて、理想論だけの人ではないという信頼性が感じられますね。

紹介を笑顔で聴く井出社長
  冒頭に申しましたが、余りにも自会の会員さんの出席が少なすぎます。こういう話は、前を向いて生きなければならない若い経営者やリーダーにこそ聞いていただきたい話であります。そういう残念さを感じた今朝のMSでもありました。

2014年2月5日水曜日

地域一番店づくりに必要なもの   逗子葉山倫理法人会会長 渡辺 順寛 氏


昨年12月1日にオープンした茅ヶ崎市南口駅前の新店「IL NONNO


 今日の講師は逗子葉山倫理法人会の現会長で、ヨコハマクラッセ株式会社社長の渡辺順寛(ノブヒロ)氏である。大学時代のアルバイトが縁で、飲食店業界に就職し、弱小企業を20年後に東証一部上場企業にまで育てたやり手経営者である。50歳を機に、自分の生き方を考えるために退社、ヨコハマクラッセ株式会社と云うイタリアンのお店を現在三店舗展開中である。

 鳥取の倉吉市生まれということで、高校生で父親を亡くし、上京し田舎に残した実母の存在が心の中に大きく占めるのは当然のことであろう。先頭に立ってジャスダック上場、東証二部、東証一部と、目標に向かってM&Aを繰り返し、企業発展にまい進してきたが、その裏では営業から経営に立ち位置を見事転換し、企業経営のノウハウを身に着けて行かれた様を、数々のエピソードと共に披露された。ワンカルチャーでない企業を統率することは圧倒的なリーダーシップ・統率力が必要とされるが、そこに戦国時代の武将の姿を観ました。
 
 今の想いは「自分の会社は何の役に立っているのだろうか」というテーマの追求の様だ。長い戦いの場を生き抜き、ある境地に達したとき、必然的に倫理という考え方が入って来たようだ。っ今朝は修羅場を経験した人でないと滲み出てこない「凄み」を感じた40分間でした。

 Ethical Business(倫理的ビジネス)という言葉が日本人固有のビジネススタイルを表現するのにあるそうである。ちなみにIL NONNO は「おじいちゃん」の意味だそうです。
 

2014年1月30日木曜日

根を養えば、木はおのずから育つ    神奈川県倫理法人会レクレーション副委員長 太田 憲秀 氏


 最近、倫理研究所から発刊される「新世」を横須賀の監査役杉山喜久江さんに頂いて、ゴルフをお世話しているジュニアゴルファーのお母さん方に届けている。子育て世代のお母さん方には非常に参考になるからと思うからである。そんなことから2014年2月号を読んでいたら、この丸山敏秋理事長の言葉を発見、それが今日のMSの講話者としての話しの結論となった。

 何時もこのブログを執筆させて頂いているが、その数およそ200件に上る。ページビューも月間で1000は下らない程度に会友の皆様にご覧いただいているようですが、今日は講話者
なので、どうなることかと心配しておりました。ただ、「太田は何者だ!いつも写真を撮ったり、ブログを書いたり、ゴルフを教えたり・・・」と云われておりましたので、自分の根の部分を知って頂くいい機会と捉えチャレンジ致しました。たまたま一週間ほど前、県の方針で県内レクチャラーを増やして会員間の情報交換を活発化しようということで、単会から推薦を受け、県の主催する講習会に参加し、今回の話しの為に準備していた物をお見せしたところ、これは三回ほどに分けてやられた方がいいと研究所の参与水上宏講師に云われましたので、三つに分けた真ん中の
39歳から45歳の時に経験した倒産会社の再建物語をお話することに致しました。


 私の勤務していた東証一部上場企業は1984年、私が39歳の時、1250億円の負債を抱えて、東京地方裁判所に会社更生法を申請し、受理され、数か月後、更生会社として再建のチャンスを与えられました。今まで社会に遺した多大な貢献と役割が評価され、西武セゾングループが再建支援をするということで、ほとんどの仕入先、お得意先も取引の継続を承諾し、そんな折、ゴルフ用品部の部長から名古屋支店へ転出辞令が下されました。何の権限もない支店長には魅力がなく、否定的な気持ちで転勤しましたが、根っからの「喜働」タイプであった自分が「支店再建のイメージ・再建のコンセプト」をデザインするのにたいして時間はかかりませんでした。


 私たち(会社)はこの地、この社会そしてこの国に沢山の貢献をしてまいりました。それをもう一度社員に問い掛け、そんな会社の社員なんだというPRIDE(誇り)と進士の気質、日本に諸外国の文化を紹介してきた企業としてのTRADITION(伝統)、そして業界のけん引役として真摯に営業活動を展開してきた他社にはない評価即ちQUALITYの高いプロ(人間力)を再確認するための勉強会や研修会を支店独自のアイディアの中で行い、新しい大沢商会のアピールを、翌年に迫った支店創設50周年記念事業に結びつけようというイメージです。

 PTQキャンペーンは社内向けですが、名古屋支店が持つ様々な資産、そして私が私的に持つ資産をまんべんなく活用して、支店興し、企業再生のエンジンにしようという具体的な活動が始まりました。
 当社は様々な業界でパイオニア的存在でした。業界というモノをこの名古屋或いは中部圏で作ったのは当社であり、其のお蔭で儲けさせてもらったという地域一番店が元気でした。例えば、
ブルーリバーダイアモンドというブライダルジュエリーは東海三県の時計・宝飾品販売店の主力商品の位置づけであり、大沢の復活はお得意先にとって悪い話ではなく、大いに歓迎すべき出来事でした。従って、この宝飾品の得意先をメインに結成された「ブルー・リバー会」は新たな局面を迎えてもやはり大沢の応援団的な立場で協力していただきました。これはゴルフ業界でも同じこと。ベン・ホーガン、フット・ジョイ、ライル・スコットでビジネスをエンジョイしてきたお得意先は大沢への多大な恩義と期待を感じて頂けました。自動車用品販売部門においても同じことでした。

 得意先の支援を取り付けるため、こういった業界ごとの得意先会を再構築することとは別に、個別に業界の有力店へトップ外交を頻繁に繰り返しました。これは名古屋で生まれ、名古屋で育った人間の持って生まれたアドバンテージです。これを最大限に生かし、担当課長よりも得意先訪問度が高く、実際に足で得意先を歩いて得られた信頼関係は後に行う100周年記念事業の
成功に結びついたと申し上げられます。

 周年行事も巡り合わせの産物ですが、持ってる強みを活かすという考え方のセンスは誰にでもある物とは違います。しかし、幸いにして自分にはそれが営業の体験を通じて身についていた。そして自分の「使命につて理解していた」ことに他なりません。やはり「大沢商会」ブランドへの人一倍強いロイヤリティーがそう仕向けたと思います。


 取引先との取引関係が正常化し、
新しい商材も加わり、華々しく
新創業のアピールが出来、社内の
モチベーションも順調にアップして
いきました。
残る最後の一つは名古屋M百貨店
本店の攻略です。当社の商材は
いわゆる百貨店商材がメイン。
地下から最上階まで、各フロアーに
最低一か所の売り場を持つという
テーマで、ゴルフ、宝飾の百貨店窓口
から攻勢を掛けました。立ち技、寝技
何でもありという世界ですが、本社から
社長にお出まし願って、トップ外交をしていただきました。

ここに商品が置いてあるかいないかは
エリアの戦略に大きく影響する要素でした。
お蔭様ではM百貨店本店との取引額は
支店売り上げの2割強のシェア―を占める
までに拡大しました。

PTQキャンペーンの成果として数字は
もとより、会社が新たな創業を目指して
いた中、何処よりも早く具体的な企画を
作り、それを実行し、著しい成果を収めた
ことは、会社の経営陣にとっても誠に
喜ぶべき現象であり、全店の模範と
なりました。

  倫理の教えの中に「運命自招」
という言葉が出てきますが、知らず内に
この教えを実践できたことは、先の
PTQキャンペーンで社内的には
社員や家族の鼓舞、対外的には市場には
大澤落ちたりと云えども、大澤から恩を
直接受けた世代のオーナー経営者の
皆様方がまだ現役で、もう一度という
チャンスを与えてやろうと応援して頂けた
という事実でした。大澤が再生できたのは、
こういったお得意先がまだたくさん業界に
現役で残っておられたことに尽きると
感謝する次第です。


 機会を捉えてそれを掴む「運命自招」の教えは今振り返ってみると、あの日、あの時、あの場所で行ったことだったなと、改めて倫理のおしえの凄さに驚嘆しております。そして創始者が述べられている「組織と個人が一体となって動くとき、うねりが起こり、思いがけない成果を生む」ということが実際に起きました。名古屋支店創設50周年、50人体制で50億円の売上達成と3年間で果し得た支店再建は大きく成果となって実を結びました。

 最後の支店再建のクロージングは支店勤務最終年(3年目)における会社創立100周年行事でした。それぞれの7本支店が独自に考え、それを行うという方法がとられましたが、我々
名古屋支店は既に50周年記念行事を前年にやっておりましたので、これをベースにもうひとひねりすることにしました。通常のビジネスは業界ごとの縦割りですが、一泊二日で行う招待催事とし、この時は横断的に当社の商品を販売してもOKという特別措置を行いました。
一部のお得意先からは異論もでましたが、「特殊な二日間だけの特別な日」ということで、ご了解を頂き、各業界の「大沢協力店会」(JO会)の会員企業と何度も煮詰めていきました。
当日は長嶋温泉ホテル「花水木」に200名ほどのお得意先とお客様をお呼びし、当社の創作ミュージカル「星に願いを」を上演し、ムードを盛り上げ、物販販売そして宴会に結び付けました。
このミュージカルには当社取扱い商品をふんだんに使い、俳優、小道具を演出しました。
これだけの規模の祭事には通常の予算では収まりませんので、事前に本社の経営幹部の皆さんに企画書を提出し、別枠の予算を付けていただきました。当時、名古屋支店は絶対的な信頼が
本社サイドにありました。それは全てのベクトルが会社再建に向けて真っ直ぐに向いていたという事でしょう。この企画は云うまでもなく大成功を収めました。ご褒美は新築のビルの最上階への引っ越しと、支店表彰、そして取締役への昇進でした。


 これらの成果は決して自分だけのモノとは思ってはおりません。ビジネスをそしてマナーを教えて頂いた諸先輩方、亡くなられた三宅省三先生や江頭啓輔社長、野崎さん、高橋さん、高川さん、黒瀬さんそして難波さんの諸先輩、そして当時の名古屋支店の皆さん、更にお得意先の皆様方のお蔭です。そして何よりも「大沢商会」ブランドにロイヤリティーを高く持っていた一人の男のロマンが名古屋と云う故郷(舞台)を得て、実ったという事かも知れません。親の背中を観て育った我々は本当に幸せな時代に生き、働けたと思う次第です。
「自分で仕事を作りながらそれを成し遂げていくという仕事のやり方=喜働である」と最近、ある勉強会で教えて頂いたが、正にその意味を両親の背中がみせてくれていたのだなと。これはもう両親への「感謝」しかありません。

 以上、当日準備しても言えなかったこと、表現が上手くできず、判ってもらえなかったことなどを再確認しながらまとめさせていただきました。ありがとうございました。

2014年1月25日土曜日

運命自招~倫理で人生が変わる~  普及拡大委員長 星 武司 氏


 今朝の茅ヶ崎MSの講師は御馴染みの人気者スターホームの星武司社長。逗子葉山の倫理法人会を立ち上げ、戸塚を立ち上げた言葉は悪いが倫理研究所の回し者のような方だが、ドラマチックな人生を経験されている方としても広く知られている。確か茅ヶ崎には以前来て頂いてお話をお聴きしたことがあると記憶していますし、それ以外にも何処かほかの単会でお話になったことをお聴きしたことがあるような気もしております。

 それは横に置いておいて、横浜市内のゼエネコンに10年勤務した後、実家の工務店を継承されてボブル時代を謳歌したが、遊び過ぎて苦難に陥り、同業者に資金援助をしてもらいながら復活の途上で、今度は社屋が塗料の自然発火で全焼し、保険どころか損害賠償を要求され、
訴訟を起こしたが負け、弁済を余儀なくされる。社屋喪失半年後に逗子に転居。

 知らない土地で逗子葉山倫理法人会の設立準備委員長に任命されるも、結果的に孤立し、攻め心がふつふつと湧いてきた。其のせいか腸閉そくの初期状態に陥り、このままでは駄目だと悟る。明朗・愛和・喜働のおしえに対し、自分が何もできていないことに気が付き、もう一度一からやり直そうと決心。社員からは仕事をほって置いて変な宗教にのめり込んでいるのではないかと疑われ、夜通し議論の末、準ではなく正倫理法人会を作るなら徹底的にやって下さいと云われ、平成21年8月8日に準備室を立ち上げ、翌年の8月5日に逗子葉山倫理法人会が出来上がったとの事。



 本人から強い要望があったので、60歳の人を試用期間として雇用すると逗子葉山の狙っていたロードサイドレストランが競売に出されたニュースを運んでくれ、落札できた話など、倫理活動に関連付けて多くのエピソードを話された。三人のお嬢さんがおられてその内のお一人が難病になって原因不明だったものが倫理指導で知らないうちに直ったとか、倫理との因果関係は不詳だが、起きた事は事実である。
 最後に話された二年前癌で亡くなった実姉のいまわの言葉は胸を刺す言葉でした。「恨みつらみで一杯だったけど、死ぬと判ったらそれはもうどうでもよくなってしまった。自分は世の中、人の為に命を頂いているのだという事が判った。自分はもしもう一度この世に生を受けたなら、それを命がけでやって行きたい」と。
 実は筆者も30歳前後で、6歳下の妹を亡くしました。いわゆる難病と云う奴で、10年程の
闘病生活の後、青春も華もなく短い人生を閉じた。そして今、三人の娘の内の長女が難病で闘病生活を続けている。親父やおふくろが味わった苦しみを今、同じように自分が受けている。あるがままには自然(じねん)の世界だが、ただ自分にも娘にも「頑張れ」としか言えない悔しさがある。そんな想いを抱きながら、星講師のお話をお聴きしました。感謝


2014年1月14日火曜日

モーニングセミナー予告 1月29日(水)「名門老舗商社の盛衰から学んだ純粋倫理の数々」 当会監査・広報 太田 憲秀 氏


 1月29日(水)第950回の当会モーニングセミナーは当会ブログを書く監査・広報担当の
太田 憲秀氏が自分の半生を振り返り、経営の鉄則を自身の体験に基づきお話を致します。波乱万丈なれど、これ以上ないクリエイティブな半生を語ります。皆様のお越しをお待ちしております。

2014年1月8日水曜日

倫理と〇〇  永島 正幸  永島正幸税理士事務所 代表


 今朝の講師は当会の元事務長永島正幸さん。昭和61年から「倫理」の世界へ足を踏み入れたと仰るので、28年間も倫理との関わりを持っておられることになる。これだけのベテランはそうざらには居ない。当然のことながら奥様も家庭倫理の会の活動的な女性会員の一人という事で、夫婦そろってということになる。昨年の9月から事務長を退かれて、家庭倫理の会の班長を務められているとか。これも婦唱夫随の夫婦のパワーバランスによるものと、会友はこぞって分析している。
 テーマは「倫理と〇〇」という事だったが、〇〇は最後まで判らなかったと申し上げて置きますが、平凡な解釈としては「夫婦」ではなかったかと推察しておりますが、本当のところはどうでしょう。茅ヶ崎で生まれ育ち、勤めは別として独立開業後は、現在の地に住んでおられ、地域の企業の会計・税理業務を請けておられる。積極的で活動的な奥様とじっくり方で何事にも慎重な自分と云う夫婦バランスを上手く使った営業をされていると筆者の人づてに聞いたことが何度もある。
 B-4の1枚に「倫理と自分史」なるまとめを書いて、全員に配られたが、倫理と、会計士と家族のことそして世の中の主だった出来事が書かれていて、観ていても飽きない。つい自分と見比べてしまう。そんな効果のある記述でした。
 誰にも出会いがある。インパクトの強い出会いもあれば、その時は感じなくても後で、あの時と思うような出会いも幾つかある。そんな出会いを大切にしながら夫婦で倫理で学んだことをベースに地域にお得意先のお役にたてればと、そんな決意を静かな口調で述べられました。