go to home page

2014年11月15日土曜日

両親の思い出。そして感謝   アトム歯科医院 院長 菅 清剛 氏


 今朝のモーニングセミナー、既に半年以上もゲストで毎週MSに出てこられている朝倉会長の先輩歯科医の菅清剛氏を講師に招いて行われました。

 大変な読書家であり、そのきっかけが、自分の幼いころ買ってもらった猿飛佐助の絵本を見て楽しく笑うのを母親がにこにこしながら優しく観ていてくれたことにある。と話しはじめられました。そして尊敬できるご両親そして祖先を持っているということに幸せを感じておられるということで、お話の内容もご両親や祖先の方々のお思い出話が主でありましたが、何篇かの文章を読まれた中に小学五年生の落ちこぼれ生徒の日記の一節がありました。筆者にはその詩が凄く印象に残り、「縁」の大切さ、そしてそれをどう生かすかが人生を大きく左右するということを改めて感じた次第です。しかし、それを掴むかどうかは個人の感性であり、この小学五年生の子供には
幼少期にしっかり育てられて、其の感性が育まれていたいうことであろう。

 その詩の内容は;
 一人の女性教師が小学校五年生の担任になった時、みすぼらしく、勉強に熱意もない一人の男の子を受け持った。その子の小1からの記録を辿って行くと、その子の根が見えてきた。遅れていた学力を取り戻させるため、放課後の個人指導を先生は声掛けして始めた。生徒の学力は見る見るうちに向上し、何の御祝いなのかお礼なのか生徒は先生に香水の瓶をプレゼントした。先生は、それを見て、生徒のの家に行ってみることにした。と、暗い部屋に居た子供が「お母さんが来た」と喜んで迎えた。6年生を卒業する時、生徒は先生に感謝の手紙を送り、その後中学、高校、大学と進むに従って、その節目節目に先生に巡り合って良かったことを綴り、送り続け、結婚をするとき、先生に「招待状」が届いた。そして先生が行くと満面の笑みを浮かべて迎えた生徒は「先生、母の席に座って下さい」と云った。そしてその生徒はその後も人生に成功して行く。5年生の時に先生と巡り合った「縁」を活かして、生徒は生きて行った・という物語でした。

演壇の前にはご両親の写真がこのように貼られておりました。
この話を思い出しながら、文章にしていると「涙が止まらない」自分に気が付きました。そしてまぶたや脳裏には小学校の時お世話になった幾人かの恩師、そして中学、高校と。恩師の顔を思い出しながら、「感謝」を叫ばずにはいられませんでした。今、鼻水を垂らしながらこのブログを書いています。幼少期にしっかりとした家庭環境の下で育てられた子供が、小学生の時両親を失うという突然の不幸に巡り合いながらも、一人の人間的な先生のお蔭で、それを乗り越えることが出来たという物語だが、如何にしかりした家庭教育、そして幼少教育が必要なのかを物語る一遍でもありました。
 菅先生はその他、ご両親や祖父母の話し等々、色々と話されましたが、今日の筆者にとっては「五年生の子供の日記」これが全てでした。感謝


 MSの会長挨拶でサン建設の照井社長の「役員辞令交付式」が行われました。先月の入会以来、毎週来て頂いている照井社長には、茅ヶ崎市の幹事の一人としてご活躍を期待しております。よろしくお願い致します。

1 件のコメント:

  1. 太田さん、前にコメントを入れたのですが、どうしてか?入ってなかったようでしたので、再度コメント入れさせていただきます。
    菅さんは、読書家だったのですね。「五年生の子供の日記」素晴らしいです。
    茅ヶ崎市のお仲間になると良いですね。
    横浜市 河野伸子

    返信削除