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2015年7月1日水曜日

女優からプロヂュ―サーへそして倫理と出会い学んだこと  横浜市倫理法人会会員 西 初恵 氏 2015年7月1日


 そもそも倫理法人会へ入会することになったのは自分が作った映像製品のDVDの販促の為に、何かいい方法はないだろうかと試行錯誤している時、「こんな講話という話す機会があるのよ」と横浜市倫理法人会の方から声が掛かったことに始まるそうで、いきなり講話と云う事も何なので、事前に一度聴いておこう見ておこうと思って出かけた時に聞いたのが「凧作りの話」でしたと語り始めた西さん。「今日一日朗らかに・・・働きます」という誓いの言葉に胸が高まり、話すなら、一度今までを振り返ってみようということで、仕舞ってあった写真を引き出し、眺めてみると自分の歩いてきた人生に、「あの時」を発見。人生は面白いと改めて気づかされたという。
従って、倫理歴は浅く、平成26年。筆者とは今年の1月に行われた横浜市の30周年記念
祝賀会の司会をされていたことで、面識があり、一度講話を聴きたいものだと思っていたので、
茅ヶ崎で役員会に諮り、実現の運びとなりました。


 本名は西江初恵と仰るが、女優業を始めた時に江を取って西初恵にされたということで、一字取ることで、芸名らしくなり、響きがよくなるものだと感心した次第。ご出身は岩手県、岡山県出身と云うことになっているが、産まれたのは岩手県で、育ったのが岡山県という意味だが、この裏にはご両親の人生のドラマが隠されているようだ。中二で岡山から上京し定時制の高校へ入学、丁度吉本興業が東京へ進出する時期に当たり、その関連で吉本の関連会社でアルバイト、元々女優志望であったので、マイプロモーションという女社長のプロダクションに紹介を受けてそこで修行をすることになったそうだ。原田大二郎の口利きでチョイ役を貰ったのがデビューと云う事で、間もなく蜷川プロの蜷川氏の指導を受ける。そこで覚えたことは;

   1.自分でやりたいことは自分で見つける
   2.人と同じことをしてはいけない
   3.作品作りは、最後まで妥協しない

 の三つであり、これが現在のプロヂュ―サーとしての基礎作りになったと述懐された。

1994には「野に咲く花なら」という
舞台作品を初プロヂュース。これは障害を
持った子供たちが収容されている病院の
保母さんの成長を素材にした物語であるが、
最先端の医療を受けるチャンスを待って、
収容されている幼少期の知られざる実態に
触発されて書かれた本であるが、1週間前
になってもライターから本が届かず、揚句の
果てには「恋人が出来たので書くのを
やめました」とふざけた手紙が来る始末。
急いで、台本のライターを探し、30万円
程の赤字を出したが、達成感を味わう。
この作品は作品を造る喜びを覚えたという収穫があり、その後15年間のロングランで上演されて、最後は日生劇場でも上演された。

2000年に俳優の峰岸徹の依頼で
トライアスロンのテーマソングを作って
欲しいという話が持ち上がり、トライアス
ロンも宮古島も知らないので、どんな
モノか、どんなところかを見てみようと
宮古島へ。紺碧の海とトライアスロンに
魅了されていっぺんにファンに。
 「太陽(ていだ)」という映画は
宮古島を舞台にした5人の都会の男
達の物語であるが、この政策に当たっても
幾つかの難題が次から次に現れて妨害
、しかし人の助けを得て、どうにか完成を
見た映画である。
 
 2006年に峰岸徹(2008年に死去)と一緒に株式会社ファーストピックを設立したが、
この会社の本当の名前は「ファーストピッグ」と云うのだそうだが登記の際に濁点を落してしまったため、再登記には費用も掛かるので、其のままにしてあるという笑い話もありました。
 この会社で作ったのが先程の「太陽」だという事です。
 
 「サンゴレンジャー」という映画を名古屋と岐阜の不動産屋さんのスポンサードで制作して上映したが、反応は今一つで、惨敗に終わってしまった。しかし、こういう社会性のある映画を作って、多くの人に見て頂くのが自分の夢なので、ひるまず続けていきたい。あきらめることなくと
結ばれました。

   
 今月の誕生日会の御祝いの花束は
湘南山鉄の山口 博社長が戴かれ、
御礼の挨拶がありました。



喜びの答礼をされる山口社長。
モーニングセミナーへは時々お出でに
なるが、今後はもっと頻繁に出たいと
気持ちを語られました。








大跋を説明される寒川神社前島権禰宜

 会員スピーチの大森さんの話を受けて、6月30日と12月31日に行われる大跋の習いは
萱を編んで作った輪を潜り抜け、身体に付いた半年間の穢れや罪を落すという神事だそうで、
寒川神社でも30日はその神事が行われたそうだ。未だ寒川神社にはこの二、三日、この輪が境内に残されているそうである
寒川神社境内の茅の輪

これから下は朝食会の風景です。

上がってしまった永島さん

河野伸子さんが応援に

育った境遇が似ていると関次期県会長

照井さんは「高島礼子」ではないかと

締めくくりは横浜市の同僚河野伸子さん

2 件のコメント:

  1. 太田 憲秀2015年7月2日 8:52

    西さんのお話は予想以上に波乱万丈でドラマチックで、女性の強さを感じさせるものでした。問題解決能力に長けたところを随所に見せていただきましたが、これはある面で幼い時からの境遇で、身に付いたものだろうと思いました。事業の発展をお祈りします。

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  2. とても明るい笑い声からは想像できないほどの、人生のご苦労が、今のお人柄を作り上げ、素敵な女優さんになられたんだなあと感じました。苦労を前向きに捉える生き方が素晴らしいですね。もっとお話しが聞きたかったです。西さんありがとうございました
    寒川神社の前島様、茅の輪の意味がやっと分かりうれしかったです。また神社の不思議を聞かせて下さいね。ありがとうございました

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