今朝の講師は神奈川県倫理法人会の前会長二階 正氏である。従って、倫友では知らない者が
居ない。何度か講話を耳にしたことがある方が多いと思うが、今日のお話は神奈川が産んだ幕末の偉人二宮尊徳翁の遺訓についてということで、倫理における「17ヶ条の万人幸福の栞」を編纂した創始者丸山敏雄の想いとの共通点をお話になった。
そもそも今回の茅ヶ崎訪問は在任中にお世話になった人々へのお礼を目的に設定されたものであったが、せっかくなら講話を賜りたいと会長がお願いしたという経緯があった。お礼を述べられた後、御自身が入会されている「小田原報徳実践会」という二宮尊徳の遺訓を勉強する会で勉強されたことを披露して頂いたが、「積善の家には必ず余慶あり」「運命自招」「つもりが積り積もって罪になる」と云ったことばの奥義をテープに編集した「尊徳翁を演じる声優の声」を流しながら解説された。例えば;
貧乏で明日喰うコメも何もなくなった家族が釜やお膳やお椀、箸などをどうせ
明日死ぬのだから洗っても仕方ないと洗おうとせず放置するのは間違った
行為である。今日まで食べてこれたという感謝の念は釜や御櫃や箸等々の
モノにも向けられるべきで、たとえ死を迎えるとしてもきちっと洗って、今までの
使命に感謝をささげることが他人として倫(道)と諭された。
人間の手は自分に都合のいい具合に作られている。手の平は内に向けることで
多くのことが出来るが、これjは外に向かって向けることもできる。自分の方に
向けてばかりせず、他人にも向けることを忘れてはいけないという意味でもある。
本当の富者は外にお金を役立てられる人である。
欲しいものは買うな、必要なものだけを買いなさい。欲しくても時間を置けば
欲しくなくなることことがあるものだ。
種を蒔かなければ、実はならない。前もって、準備することはそういうことだ。
等々、記述が正確ではないかも知れませんが、意味は判って頂けるだろうと思います。
遥60年も前の田舎の校庭の片隅に立っていた「薪を背負い本を読みながら歩く幼い頃の二宮尊徳」の石像はこの偉人のほんの一部で、「道徳」の一環で置かれたものと知りつつも、その奥義までは想像できなかったことを悔やむ。それよりもなによりも、我々の幼少のころにはこんな道徳教育を両親に始まり、近所のおじいさん、おばあさん、おじさんがやってくれた。
二階さん激務ご苦労様でした。体が本調子でないという事は聴いておりましたが、度重なる入退院を繰り返されても使命を全うされたことに敬意を表します。ご苦労様でした。 感謝

会場のホテルサンライフガーデンの
ロビーです。折からのシーズン祭事
ハローウインのデコレーションが
綺麗に飾られていました。

ここを訪れる若いカップルの琴線に
触れるよう、常時このようなデコレー
ションが施されています。
これが終わるといよいよクリスマス。
そんなことも視野に入って来た今年の
終盤となって来ました。
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