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2012年10月24日水曜日

形が先か、心が先か  (社)倫理研究所 首都圏方面担当研究員 柳下 文寛 氏



  冒頭、会員スピーチで朝倉照雄さんの「会員スピーチ」が行われ、朝倉さんと倫理との馴れ初め、そして役員として活躍されている家庭倫理の会のお話しがありました。そして今、到達した境地は「明るく喜んでわくわくと働く」ということになり、これを日日の行動指針としておりますと結ばれました。今日は写真が多いので、お写真は割愛させていただきました。

 今日の講師は倫理研究所の柳下文寛さん。この8月まで富士研に勤務しておられ、この度首都圏方面担当となられたご覧のように若手の研究員さんです。富士研に大学を卒業して入り、スタッフとしての勉強、鍛練を積むという日々を過ごして来られたが、学生時代と違い朝起きが基本の研究所生活は先ず生活習慣を変えることに苦労されたらしい。しかし、鍛練を積むうちに失敗はあってもそれに体が反応し、当たり前になっていくことは我々の経験の中にもあることであるが、それが仕事となると、また別の世界かもしれない。

 「清風」、「徳風」(人格を磨き、徳の風を他人に及ぼす)、素直(すなお)と純情(すなお)の違いを説かれたが、「素直」は極めて受け身的な響きを持つが「純情」は受け身でありながら積極的な一面を持つ言葉で、静と動が含まれていると云うことだが、何となく理解できる。

 「実践知」という言葉があるが、これは物事の本当の意味や価値はやってみなければ判らないと云うことで、やってみて判り、納得し、他人と分かち合えるということになる。それほどに、実践と云うことは尊い意味を持つ行動である。故に、倫理の教えの根幹に置かれているということは会員諸氏の理解するところでもある。

 白人は頭で考え、インディアンはハートで考える。日本人は昔は「腹・胆」で考えたが、今は何処で考えているのだろうか。どうやらハートや腹であったものが白人化しているのではというのが栁下さんからの警告に聞こえてきました。

 物事の成否、判断はあいまいな認識や情報に左右されず、正しい心で純情(すなお)に聞き、判断をすることが出来ているかどうか。例えば、中国との尖閣問題、韓国との竹島問題、どの知識レヴェルで我々日本人は参加しているのか、平和ボケか、ひょっとしたらぬるま湯の中のカエル化している姿に気付いている人がどれだけいるのだろうかと。

 表題の「形が先か心が先か」というテーマに対しては明確な言及がなかったように思うが、その判断は我々がするということかも知れない。「形」から入り、段々と「心」が備わっていくような気がしますが、如何でしょうか?

今日の参加者は26名でした 














 会場のホテルサンライフガーデンのロビーにはハロウインのデコレーションが施されている。














    相模川の岸辺にはコスモスも満開で、
  そろそろ終わりに近づいています。ひんやり  とした早朝に風も頬に気持ちがいい季節で 
  す。









馬入橋の堤防から冠雪した富士山が見える。空気が澄んで、気持ちの良い朝です。朝起きしましょう!








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