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2010年2月25日木曜日

戦争そして核廃絶を確認したい!


 2月最後のMSの講師はハウスニュームラへ勤務されている清水信雄さんである。横浜ゴムを定年退職されて、現職にあるが、横ゴム在職中は「被爆者」であることを隠し通されたという。それほど「被爆者」というものが社会から特殊扱いされていた歴史の証明であろう。
 2歳5カ月で広島の原爆を体験されたが、爆心地から20km以内におられたとのこと。被爆当日はお父さんに背負われ、外出中だったそうだが、気が付いた時にはがれきの下に居たそうで、後から判ったことだったが、当日お父さんは亡くなられたという。背中に背負われていたため、直射を受けず助かったということで、まさに父親が犠牲になって今日の自分があるということだ。母親も四男を生むと2年ほどで亡くなられ、兄弟5人が親類縁者に引き取られて、成長したので、今兄弟と会っても兄弟の気がしないと語られた。両親がない生活は窮乏を極めたようで、その生活ぶりは聴講者の涙を誘った。当時は生活保護やセフティーネットが不完全で、矛盾だらけであったが、国力がそこまで出来ない実情であり、兎に角、できることでしのぐしかない生活を送られたようだ。我々世代には少しは戦後の窮乏の記憶があるが、その記憶と比較すべきもない。被爆者、親がいない、学歴がない、これらのハンディキャップの中で生きてこられたことの意味は何だったか?それは親の愛であり、親類や近所の人のこころであり、人間として「生きる」ということへの使命感だったと言われたような気がした。故に、この不幸を二度と起こさないこと、核の悲惨さを訴えて、次の世代に恒久平和の願いを伝えたいと思っておられるに違いない。
 すごい話で、紹介しきれず残念ですが、末永く健康で活躍されんことをお祈りします。

1 件のコメント:

  1. 太田さん、ブログ更新ありがとうございます。

    沢山の御経験から今の清水さんの素晴らしい御人柄があるのだと思いました。

    河野建築設計事務所

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